馥郁たる墨の香に、静謐を伴っている。
その空間は京町屋の中にあった。
私がこの場所で書道教室の師範代をしているのは、あまり人には言えない理由(わけ)があった。
私は師範の愛人だったからだ。
大学を出たばかりの、世間知らずの私は師範に「手籠め」にされたのだった。
師範にはちゃんと奥方がいらっしゃるのにである。
その師範も糖尿病で歩けなくなり、筆を持つことすら難儀になり、カリの張った「お道具」も役立たずで、あたしはまったく欲求不満になってしまっていた。
「今日は、皇甫誕碑(こうほたんひ)を臨書します」
私は、最近めきめきと腕を上げてきた高校三年生の牛島靖人(うしじまやすと)君を指導していた。
私は、お手本を書棚から取り出して、その歐陽詢(おうようじゅん)の名作「皇甫誕碑」の拓本を拡げた。
歐陽詢は唐の初めの頃の書家で、書聖「王羲之(おうぎし)」の影響を強く受けた筆法が名高く、その冷徹な楷書は、書を勉強する者にとって最高の手本となっている。
「牛島君、歐陽詢はね、背が低くって、どちらかというとハンサムじゃない男だったようだけど、努力家で、そこにあるようにすごく美しい楷書を書くのよ」
「はあ。なんか、俺みたいっすね。不細工で、チビなんて」
「君は、いい顔してるよ。背だって、もっと小さい子いるじゃない」
「慰めてくれなくていいっすよ。せんせ」
「ごめんね」
あたしは、どうも一言多い。

多感な青年に、なんというデリカシーのないことを言ってしまったのだろう。
皇甫誕碑と九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)は歐陽詢の代表作であり、「楷法の極則」と言われて、書、ことに楷書を学ぶ人間は、まず歐陽詢に学べと言われるものだった。
「そうね、特徴をうまくつかんでいると思うけど、ほら歐陽詢の文字って全体に縦長なのよ」
「う~ん、ハラいも鋭いですね。こう…いや、なんか、うまくいかないな」
「打ち込みから筆を起こし気味で、一気呵成に書いてごらん」
「はあ」
かく言う私も、歐陽詢を何度やっても、まずいものしか書けない。
誰だって、歐陽詢を超えることはできないし、うまい真似でしかない。
それはそれでいいのだ。
書を学ぶことは、真似ることだから。
臨書をするのは、真似ることなのだから。
ただ、過去の人物の、それも碑文という化石のようなものしか残っておらず、そこから生気の宿った筆法をつかみ取るのには、やはり天性の才能が必要なのかもしれない。
虞世南(ぐせいなん)、楮遂良(ちょすいりょう)と並ぶ唐代の楷書の大家、歐陽詢。
何度見ても、新しい発見がある。
見飽きない書だ。
懸命に書に取り組む牛島君の横顔をながめていると、私は、なんだか体の奥がうずいてくる。
青臭い男の子の、おそらく童貞だろうその体を、私は受け入れてみたく思った。
私は足を何度も組み替えて、劣情を抑えるのに必死だった。
排卵期が近いのかもしれない。
この部屋には数人の生徒が、静かに臨書に取り組んでいるのだ。
不謹慎な私だった。
私はトイレに立った。
個室で、ショーツを下ろしてみると、股布にシミがべっとりとついている。
「ああ、これは履き替えないと」
たまらず、そのまま、指で膣をかき回す。
「くっ」
ぬるぬると、中から粘液が湧いてきて、指をどろどろに汚した。
牛島君を受け入れる想像をして、私は指を出し入れした。
和式トイレにしゃがみながら、そうやってひとしきり自分を慰めると、心が落ち着いてきた。
カラカラとロールペーパーを巻き取り、陰部に当てて、したたりをぬぐった。
何度もしないと、なかなか収まらない。
「ふぅ」
しゃがむ足がしんどくなってきた。
適当なところで、汚れたままショーツを上げて、何食わぬ顔で教室に戻った。
牛島君は、さっきのまま臨書に没頭している様子だった。
「あ、せんせ、どうでしょう?」
「貞體道含」と書かれてあった。
なかなかのものだった。
この青年は、才能があると思った。
この字を見ていると、ますます童貞の硬い性器が、我慢できずに震えながら射精する様を想像させるのだった。
いつか、この子の童貞を奪ってやろうと、私は決心していた。