灯台守との往還が続く私は、再び京都の病院の一室に戻っていた。
夫の具合が悪く今日から入院してしまったのだ。

深刻なのかと言われれば、そうなのかもしれない。
私は耳を閉ざし、目を閉じている。
どうにでもなれという気持ち。

マハトマ・ガンジーが暗殺されたのが70年前の明日だそうだ。
持ってきた毎日新聞に中島岳志という若い学者がガンジーについてわかりやすく説明してくれている記事があった。
ガンジーの寛容さについてである。
彼は「断食」というもっとも人々に訴えやすい行動で暴力に抗ったのだった。
宗教の種類を問わず、彼の場合はヒンズー教とイスラム教の対立において、断食でその争いを止めたことは今も語り継がれている。
非暴力主義という今ではウソのような、しかし、それこそが唯一無二の平和的紛争解決策であることを身をもって示したのである。

「政教分離」という今日(こんにち)では常識とまで言われる政治の理念だけれど、ここに無理があると中島氏は指摘する。
「政教分離」では昨今の宗教対立とも言うべき紛争の解決には至らないというのだ。
そこでガンジーを思い起こせと喚起する。

ガンジーは「寛容」をもって人々に接した。
これはアジアの根底にある思想だと言う。
ガンジーは言う。
「山の頂(いただき)は一つだが、そこに至る道は無数にある」と。
「山の頂」とは、すなわち「真理」である。
たった一つの真理に至る道は違っても、構わないではないか。
キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でも、ヒンズー教でもあらゆる宗教や思想は一つの真理を指し示す。
だからわかり合えるはずなのだ。
宗教の違いによる争い、いわんや思想の左右の違いによる争いをも避けられ、仲良くなれるはずだと。
そしてそうであれば、言葉や人種の違いなどなにほどのものだろうか。

私は、はたと膝を打った。
そうであらねばならない。

西洋の考え方では「政教分離」しなければデモクラシーは実現しないし、紛争が絶えないと信じられてきた。
日本も西洋に倣(なら)って憲法にも政教分離を盛り込んだ。
われわれも、それを正しいとして疑わない。
いつも、公明党が「創価学会」という宗教団体の政党であることに疑義を投げかけられるのは「政教分離」の考えが浸透している証である。
ことにフランスでは革命により、王政から市民に政治を取り戻すことができた。
民主制は、平等を旨とするのは、王族の特権を許さないという共通の理念から生まれた。
そこに宗教の入る余地がないから「政教分離」が当然とされるのである。

宗教と王政が蜜月だった長い歴史があった。
もともと人と宗教は切っても切れない縁なのだ。
「よりどころ」なしに人は生きていけない弱さがある。
キリスト教国では、「カノッサの屈辱」のように王と教皇が対立したこともあったが、おおむね教皇に従うのが王だった。
「政(まつりごと)」とは宗教そのものだったのはどこの国も一緒である。
それを廃棄して、市民、国民がみずから代表を選び、政治を司る民主制こそ新しい国家像だと信じて疑わないだろう。
しかしそこにも落とし穴があった。
為政者は選ばれるために、大衆迎合(ポピュリズム)を利用する。
すると民主制を逆手に取る輩が出てくる。
ナチスがそうだった。
ナショナリズムは排他主義と大衆迎合主義をエネルギーにして「祭り」のように国家を動かす。
この疫病は今の世界のあちこちにみられる。

中島氏はスペインのホセ・オルテガを引用する。
この思想家はナチスなどが台頭する予見をした。
1929年、オルテガは『大衆の反逆』を著す。
そして「熱狂しやすく、ぶれやすい人々」を「マスマン」と呼んだ。
「マスマン」とは「他者と合意形成する粘り強さを失い、自身の欲望を実現してくれそうな代理人を選ぶ大衆」だという。
この書物が世に出てすぐにヨーロッパにファシズムが勃興するのである。

「祭り」に浮かされた大衆は、お気に入りのカリスマを担ぎ上げ、排他主義でブルドーザーのように弱者を一掃しようとする。
格差が被差別者を生み、公正平等で実施していた弱者政策は「逆差別」だとして、恩恵を受けている弱者を糾弾し、貶める。
「障害者や老人は自立せよ」「貧困は自己責任」「難民や移民は自分の国へ帰れ」などなど。
民主主義は多数決の論理が弱者を「合法的に」脅かす「沈黙の暴力」になるのだ。

だから。
だから、ガンジーを想起せよと言うのだ。
民主主義がゆがめられて、運用されているではないか。
「朝鮮民主主義人民共和国」という国がはたして「民主主義」だろうか?
そういう欺瞞国家が近隣にある日本は、今一度、民主主義のあり方と、「驕(おご)り」、だれのための平和なのかを考え直せと、私は言いたい。
決して「再軍備」とか「核保有」なんていう答えではないはずだ。
そんなものは幼稚園児でも答える。
「暴力には暴力を」では策がなさすぎだろう?

ガンジーは、「平和という真理」を求め、イスラム教徒との融和を図ることで、ヒンズー教原理主義者の男に撃ち殺されたのである。
彼は敗北したのだろうか?
もし敗北したのなら、とっくに忘れ去られているはずだ。
「今こそ、ガンジーだ」と人々の良心に訴えるのは、彼が負けてはいなかったからではなかろうか?