この島は東西に長いひし形をしており、東の一端の岬に私の灯台がある。
西側にも灯台があるが、梯子のついた柱のような小さなものだ。
太陽光で作動する無人の灯台だ。

「ビーチコーミング」をご存じだろうか?
「海岸をくしけずる」という意味で、海岸を歩きながら、打ち上げられた漂着物を拾い集めることを言う。
古来、櫛(くし)は髪の毛に巣くう虱(シラミ)などの寄生虫を掻き出して見つけるために使われた。
まさに自分が櫛の歯になって、ビーチを探し回るのだ。

こんな南の孤島にもいろんな人工物が漂着している。
硝子の浮き玉、ガラス瓶などは風情があるけれど、ペットボトルやポリタンクの類は興ざめだ。
珍しいものにフネダコやノーチラス(オウムガイ)の殻などがある。
サメ類の卵胞も不思議な形だ。
ヤシの実は、南国の点景としてついながめてしまう。
島崎藤村の「椰子の実」の詩が思い浮かぶのは日本人だからだろうか?

名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ


この詩は柳田国男の経験を島崎が聞いて作ったと言われる。
柳田が伊良湖岬に逗留したおりに、浜で流れ着いた椰子の実を見つけ、感慨にふけったらしい。

椰子は海岸にそって生えているが、それはたいてい漂着した椰子の実がそのまま根を下ろしたからだ。
まさに藤村の詩境そのものだ。

私は白砂に足跡を残しながら浜を散策する。
海鳥が悲しげな鳴き声をあげる。
スカシパンやツノガイの亡骸(なきがら)が宝石のように砂中に顔を出していた。
少女の爪のような桜貝…

うるわしき桜貝ひとつ
去りゆける君に捧げん
この貝は去年(こぞ)の浜辺に
われひとり拾いし貝よ

(作詞 土屋花情 作曲 八洲秀章)
※「サクラガイ」という固有種や学名は存在せず、ベニガイやモモノハナガイのようなピンク色の貝殻をもつ二枚貝の総称である。

ここには昼夜の区別はあるが、時間は進まない。
景色が変わっても、走馬燈のようなもので、何度も繰り返すだけだった。
私はいつも同じ時を過ごしている。
昨日も、今日も、明日も…