冬季オリンピックと普通のオリンピックを比べると、私は冬季のほうに熱が入る。
スピード感と華麗な演技…

たしかに体操競技も華麗だし、陸上競技もスピードが命だけど、「体一つで勝負」の「ガテン系」ですからね、私らスポーツに縁遠い人間からしたら、「大変ですなぁ。ええ体したはりますなぁ」で終わってしまい、感情の移入もない。


ところが冬季の種目は、「なんか、あたしもやってみたい」なんて大それたことを思う自分がいて、思わず手に汗を握ってしまう。

小平さんや高木さん、羽生君たちのの常軌を逸した頑張りと「持ってる人」感に、ただただ脱帽なんですよ。
でもね、スキーは、こんな私もピーク時は毎週、近場のゲレンデに足しげく通っていたくらい入れ込んでましたからね。
私をスキーに連れてって』なんていう映画がありましたが、あんな状態でした。
だから、わかったような気になるんですよ。
馬鹿ですねぇ。相変わらず。

内外小鉄キャスターにその話をしたら、
「そりゃ、冬季の種目は人間の能力をはるかに超える器具をつかうからですよ」と、言い出した。
つまり、スケート靴やスキー、スノーボード、スケルトンなどのそりを使って「体一つ」で戦うのではなく、もはや機械的速度を利用し、制御して「飛ぶ、回る、滑る」んで、夏の大会とは異なる面白さがあるのだと。
だから、パラリンピックでも冬季大会はチェアスキーなど、かなり「危ない」ものまで競技化されている。
人間は死と隣り合わせのスポーツに夢中になるらしい。
高梨沙羅さんやレジェンド葛西さんがあんな高いところから飛ぶのなどは、もう脳内に麻薬が出ているに違いない。
「やめられない」魅力があるのだろう。
わかる気がする。
スノボのハーフパイプ、フリースタイルスキーなんか明らかに「やばい」競技ですもんね。
実際、大けがを克服して再挑戦する人も後を絶たないといいます。
「滑走」はエネルギー保存則、慣性の法則が相まって、競技を面白くしているんだけど、失敗すると悲惨なことになる。
スケルトンやリュージュ、ボブスレーは氷上のF1とまで言われて、クラッシュしたら目も当てられないだろうな。

若いころ、私もスキーのスピード感は癖になった。
ゆるく滑降していても、走るより風をすごく感じるし、モータースポーツのように守られていないから、体一つの爽快感もある。
そうね、バイクが好きな人が「風になる」なんてことを口走るのと同じかもしれない。
私は走るのが苦手だから、スキーなら「ええなぁ」と思うわけ。
少々、太っておっても「着ぶくれ」だとかなんとか言ってごまかせるし。

エネルギー保存則が端的に出るのはカーリングだろうね。
氷上のビリヤードですね。
滑っていくストーンが止まっているストーンに当たると、運動量を与えたストーンは「ステイ」と言って止まり、運動量をもらったストーンは「テイクアウト」され、「ハウス」から除かれる。
「ダブルテイクアウト」の妙技には思わず拍手を送りたくなります。

摩擦の少ない「滑走」はスピードスケートやフィギュアスケートに見どころを与えます。

冬季の種目は、度胸さえあれば「やれる」んじゃないかと思わせる危うさがあります。
ほんとはそんな甘いもんじゃありませんけどね。
ちょっとくらい、楽しむことはできそうです。
体操競技や陸上競技、レスリングや柔道など、私などとても「やれる」とは思えませんからね。