この硫酸と言う化合物は「錬金術師」によって我々にもたらされたのだった。
誰でも知っているように硫酸は極めて強い酸であり、あらゆるものを腐食し、溶かしてしまう。


100%(実は98%)の硫酸は粘性のある油のような液体で、水で薄めるとき激しく発熱する。
したがって硫酸を水で薄める時は、硫酸に水を入れてはいけない。
沸騰した水がはねて危険だからである。
希釈するときは大量の水に少しずつ硫酸を注ぎ込むようにしてかきまぜる。

硫酸は比重が大きいので水に沈む。
硫酸の水への溶解熱は、すぐに比熱の大きい水で冷やされるから安全なのだ。


硫酸の歴史は、古代アラビアにまでさかのぼる。
おそらく、ミョウバンやリョクバンなどの硫酸塩(複塩の鉱石)を「らんびき」で外気と遮断して蒸し焼き(乾留という)にして集めた水溶液が硫酸水溶液だっただろうと推測できる。
「らんびき」とは単式蒸留器のことでアラビア語の「アランビック」がなまったもので、日本の焼酎製造に用いられるものである。
要は丸底フラスコの首を下方に曲げて口径を絞った「レトルト」である。

錬金術師はいろんな鉱物を水溶液にして混ぜ、捏ねまわし、金(きん)を得ようと努力したが、ことごとく失敗し、安っぽい「貧者の金」という真鍮を得たに過ぎなかった。
しかし、その努力はさまざまな化学の基礎を培ったことは、人類にとって無駄ではなかった。
有名な化学者として名を成している人々にも錬金術師が混じっている。
キャベンディッシュやロバート・ボイル、シェーレらがそうだ。
なかでもボイルは「ボイルの法則」で我が国の中学生でも知っている偉人だが、フランスのジャック・シャルルとともに熱力学の基礎を作った。
ずいぶん最近まで、ひとびとは化学反応で金ができると信じていたのだ。
ただその方法が容易には見つからなかったというだけで…
ドルトンやニュートンも錬金術に未練があったと思う。

しかし、それは夢物語だと、賢明な彼らは気づくのである。

錬金術師が硫酸を得る方法を考えだしてくれたおかげで、人類は空に昇ることができた…

ジャック・シャルルは「ボイル・シャルルの法則」で、これまた、たいていの人は学校で習う人物だけれど、彼はボイルの論文を読んで、「水素を使えば空に浮き上がることができる」と確信した。
それまで空気を熱すると軽くなって浮き上がる性質から、同じフランス人のモンゴルフィエ兄弟が熱気球の実験に成功していた。
シャルルはさらに進めて「空気より軽い気体」として水素を選んだのだった。

シャルルが水素を得た方法が、鉄くずに「硫酸」を注いで発生する気体を集めるというものだった。
つまり、発生する「水素」をゴムノキの樹液でコーティングした絹製の袋に捕捉して気球を作るというものだった。
協力してくれたのは、職人のロベール兄弟だった。
彼らは、ゴムノキから得られた生ゴムをテレピン油に溶解して絹布に塗装するという新たな方法を見つけてくれたのである。
こうして気密性の高い気嚢(きのう)を備えた直径4メートルにも及ぶ水素気球を完成させたのだった。
シャルルらの気球実験は公開で行われ、群衆の見守る中で成功させた。
観客の中にはベンジャミン・フランクリンが含まれていたと記録にある。
このシャルルの最初の無人の気球は風に流され、とある村に不時着したが、村人が怪物が降りてきたと恐れ、破壊されてしまった。

その後シャルルは、さらに大きな気嚢を持つ気球を作成して有人飛行を敢行した。
これにより、約3000メートルの高度に達し、気圧変化などを測定したという(1793年)。

硫酸がなければシャルルの水素気球はできなかっただろう。
気球は後に「飛行船」になり、ドイツは旅客を乗せる遊覧船として巨大なものを完成した。
飛行機が実用になるまで、飛行船は空の主役だった。
「ヒンデンブルク号」の悲劇が起こるまでは…
水素は軽いが、良く燃える気体であることを忘れていたのだろうか?
技術に驕った人間の、想像力の欠如が招いた悲劇だった。

しかし、だからこそヘリウムが次世代飛行船に用いられるきっかけになったのだが、すでに内燃機関による飛行機がよちよち歩きを始めており、もはや飛行船の時代ではなくなっていた。

科学史は、人間を顧みる財産である。