熱力学の講義は工学部では必須科目であり、ぜったい落としてはいけないものだった。
「では、ランキンサイクルを用いた汽力機関の話に移ります。現在では汽力機関と言われるものは火力発電所や原子力発電所、ならびに蒸気タービンエンジンの船舶に用いられるほかは利用がありません」
続けて、
「蒸気機関車のような蒸気機関は仕事に使った蒸気を再利用せず、外界に放出している。そうでないと復水器などの装置を備えなければならず巨大になりすぎ、不経済だからですね」
と、田口栄教授は度のきつい眼鏡をずらした独特のまなざしで私たち学生を見回しながら話す。

「そこの写真は見にくいですが、蒸気タービンの写真です。ボイラーで湯を沸かし、蒸気を得てその気圧をタービン翼に吹き付けて回転運動を得る。そうして、蒸気は冷やされ回収されまたボイラーで加熱されるというふうなサイクルになっております」
『熱力学要論』は古い教科書で本校では、戦後間もないころの学生から使っているらしい。
版を改め、十四刷と奥書にはある。
「戦時中の日本の軍艦はたいてい、蒸気タービン式のエンジンでした。わたくしも海軍におりまして、戦艦霧島に乗艦しておりました」
教授の思い出話が始まった。
※当時の海軍の艦は「技本式オールギヤードタービン」であったと記憶している。

彼は、ソロモン作戦で、戦艦「霧島」の機関担当の技術士官だったそうだ。
夜戦による被弾で「霧島」の最期は壮絶だったそうで、教授もほかの機関兵と一緒に傾斜復元の注水作業中に蒸気配管が破裂し、大惨事となった。
田口教授は命からがら脱出し駆逐艦「朝雲(あさぐも)」に救助されるも、同期の兵はみな行方不明になってしまったという。
航行不能になった「霧島」は駆逐艦「五月雨(さみだれ)」によって沈められようとしたが、自然に沈んでしまったらしい。

「蒸気の圧力というものは、それはそれは恐ろしいものでしたよ」
と、しみじみと彼は語った。

「汽力機関は、横山さん、原理をもう一度説明できますかな?」
一番前に座っていた私は、よく教授にさされた。
「あ、あの、ランキンサイクルですか?カルノーサイクルと違って断熱変化と等圧変化の繰り返しです」
「カルノーサイクルは、じゃあ、どんなのだった?」
「カルノーサイクルは断熱圧縮と断熱膨張の繰り返しでした」
「よろしい。給水、蒸気、排気、復水のサイクルで回るのがランキンですね。水は給水ポンプからボイラーへ送られます。ボイラーで炊かれた水は蒸気になり、過熱器を通って過熱蒸気としてタービン翼に当たりタービンを回します。仕事を終えた過熱蒸気は復水器で冷却され水に戻りまたポンプに送られます」

黒板にフローシートが白墨で描かれた。

そしてT-S図(温度-エントロピー図)とP-V図(圧力-容積図)も描かれる。

図説
引用www.power-academy.jp/learn/glossary/id/1558

※下の二つの図中の数字は互いに対応しているが、上の図では1~2が「断熱圧縮(ポンプ)」で2~3が「等圧受熱(ボイラーと過熱器)」、3~4が「断熱膨張(タービン)」、4~1が「等圧放熱(復水器)」の行程となっているので注意すること。

図ー2の4~1の線と2~3の線が比容積(容積)軸に平行であるから「等圧行程」であることがわかる。
つまり4~1は図ー1ではボイラーと過熱器の行程に当たり(T-S図で、3の前の駆け上がりが過熱器行程)、2~3は図ー1では復水器の行程になる。
3~4で圧力が急上昇しているのはポンプで水をボイラーという定容器に押し込んでいることを示す。
1~2は過熱蒸気によるタービン翼回しという仕事行程を示し、体積が急上昇し、反対に圧力が急低下している。

この図を眺めると、断熱圧縮と等圧受熱が「仕事貯め」の行程であり、断熱膨張が「仕事中」であることを容易に知ることができる。

「ポンプで圧入された水が、ボイラーで熱せられ、沸騰し、発生する蒸気は過熱器で乾燥飽和蒸気にされ、タービンに送られます。仕事を終えた蒸気は温度が下がり、湿った飽和蒸気になり、さらに復水器で凝縮され水に戻ります」
教授がランキンサイクルの説明を加える。

「ここで飽和温度とはそこにもありますように、ある圧力に対する水の沸騰点ですから、大気圧下では100℃となりますな。その時の蒸気を飽和蒸気と言います。飽和温度では飽和水と飽和蒸気が混在している状態ですな。飽和蒸気を飽和温度よりもさらに熱すると、乾燥した飽和蒸気になる。わかりますか?」
一呼吸おいて、教授が私たちを見回す。
「液体の水をまったく保持していない蒸気を乾燥飽和蒸気と言うわけです。水はみんな気化しているんだね。さらに加熱を続けて過熱状態にしたものを、過熱蒸気というのです。字を間違わないでね」
と、黒板の「過熱」に白墨でぐるぐると円で囲んだ。
過熱蒸気は何度でも高くできるのだった。
水蒸気の状態は温度で含水が変化し、まったく気体だけの水にまで加熱してもいいわけで、ランキンサイクルはそういった過熱蒸気に仕事をさせる機関なのだった。

田口教授は藍綬褒章を受章され、今年退官されると聞いている。
私たちは最後の教え子になるはずだった。