紅茶の品種に「オレンジペコー」というものがある。
「ミカンの香りでもするんかいな?」と訝しんで飲むと、なにやら柑橘っぽいといえばそんな香りがしてくる。

「これって陳皮(チンピ)でも入ってるの?」と物知りの森田検索にふってみると、
「ミカンの皮は入ってません。オレンジはそこには入ってません」と『千の風になって』の歌の文句みたいに言う。
柑橘の香りがしたのは私の思い込みだったようだ。

「じゃあなんでオレンジなのよ」
「それはね、一説にオレンジ公っていうネーデルランド、つまりオランダ王室の家柄と関係あるんですよ」
「ほう」
「ちなみに、後藤さん、ペコーっていうのはね、茶葉の開いていない新芽のことを言うんですよ」
「じゃあ上等やんか」
「そう、上等です。味わってくださいよ」
森田は小指を立てて、紅茶茶碗の取っ手をつまんで、ゆっくりと口に運ぶ。
「オレンジ公はね、オラニエ・ナッサウ家という家柄なんです」
「ふ~ん」
「オラニエはOrangeと綴るんです」
「ほんとにオレンジなんや。じゃあ、ミカンのオレンジの語源もそっち系?」
「その辺はよくわからないんですがね、偶然なんじゃないかなと、ぼくは思ってます。オレンジ公はオランダ王室の家柄になるんですが、オランダの東インド会社として茶葉交易に手を出すわけ」
「イギリスと覇権を争ってたのね」
「そうです」
「そういえばオーランジュとか言わなかった?その家柄」
「そうそう。オーランジュ公です。教科書なんかにはそっちで載っていることもあるかも。オランダではオラニエと発し、フランスではオランジュもしくはオーランジュと発します」
「なんだ、そうだったのかぁ」
「オラニエ公は、オランダ総督を歴任し、ついにオランダ国王を輩出する家柄となります」
「森田君は日本史が専門じゃないの?」
「大学では世界史もやるんですよ。ぼくは中世ヨーロッパの授業も取ったんです」
「そうかぁ。学校の先生をやればいいのに。発掘なんかやめて」
「いちおう、高校教員の免許は持ってるんですよ。でも発掘が好きなんです」
「出土品を着服するんだもん」
「それは返しました。もう言わないでくださいよ」
「三角縁神獣鏡だっけ?あんたが盗掘したの」
「そうですけど。いいじゃないですか」

森田はバツが悪そうに下を向いている。
「オランダってさ、ヨーロッパではどんな位置づけの国だったわけ?」
あたしは話を向けてやった。
「けっこう影響力のあった国家でね、名誉革命のときにオランジュ公はイングランドの王様になっちゃうんだ」
「へえ、名誉革命?知らないな」
「十七世紀後半、日本なら江戸時代前期ですがね、イギリスのスチュアート家がイングランド王家を継いでいました。ヨーク公ジェームズがジェームズ二世としてイングランド王位にあったのですが、その前にイングランドで国王暗殺未遂事件があったんです」
「そうなの」
「確かライハウス事件と言ったと思うんですが、この裁判でジェームズらは容疑者や関係者をことごとく血祭りにあげ、大きな反感を買う。治世もよくなかったので貴族たちの不満も溜まってイングランド国王ジェームズ二世は不人気を買っていた」
「ジェームズ二世って何者?」
「彼は清教徒革命の時期にフランスに逃げていた。つまりカトリックだった」
「宗教対立もあったわけ?」
「彼が即位したときに、プロテスタント系の家臣連中を罷免してしまったことが不評を買った主な原因です」
「イギリスは清教徒革命の後、ほぼプロテスタントの時代になったものね」
「ジェームズはカトリックの大臣を重く用いたために議会の分断を深めます」
「だろうね」
「かなしいかな、ジェームズには女の子はいても男の子に恵まれなかった。だから議会側はプロテスタントでオランダ総督だったオラニエ公ウィレム三世に嫁いでいた長女のメアリをイングランドの後継にしようともくろんでいました」
「なるほど、そこでオランダとの関係が出てくるのか」
「そもそもウィレム三世はジェームズ二世の甥なんですよ。だからウィリアム三世とも呼ばれる」
「オランダ総督とイングランドが姻戚関係だったということね」
「ややこしいことに、ジェームズ二世の奥方もメアリというのです。で、この奥方との間に、ついに男子が生まれてしまう」
「世継ぎが生まれてよかったじゃない」
「それがそうとも言えなかったんですよ。メアリ王妃の妊娠が偽装だと疑う者がいたり、生まれた王子も実は女の子だったのに子供をすり替えたなんていうデマも出る始末でね」
「よほど、ジェームズ二世の一家が疎まれていたんだね」
「まあそういうことです。やっと生まれた王子を担ぐジェームズ二世の側とウィレム三世の嫁を推すプロテスタント派の議会の対立は深まるばかりでした」
「ああ、そうかジェームズ二世はカトリックで、彼の娘のメアリとやらはプロテスタントやったんやね」
「つまり名誉革命はお家騒動に名を借りた宗教対立だったんですよ」

彼の説明によると、イングランド議会はオランダ総督のウィレム三世夫妻(ジェームズ二世の長女メアリの嫁ぎ先)を招じ入れようとしていた矢先、彼らにとって都合の悪いことに、ジェームズ二世の王妃メアリがめでたくご懐妊あそばされ、ついに男児をご出産になられた…
議会はもはやこれまでと、ウィレム三世を担ぎ上げ、ウィレム側も隣国フランス国王ルイ十四世と対立が深まっており(スペイン領ネーデルランド継承戦)、この際、姻戚筋のイングランドに近づけることは渡りに船だった。

ウィレム三世はイングランド議会のプロテスタント派に担ぎ上げられ、密かにクーデターを起こすためにイングランドに軍を従えて渡航する準備に入っていた。
当時、オランダはフランスと交戦状態にあって、総督の不在が知れるとフランスに攻め込まれる可能性もあったからだと言われる。
この度のクーデターを正当化するために、イングランド国民の権利回復のための派兵であるという趣旨の印刷物を用意しての周到な計画だったらしい。
オラニエ公ウィレム三世の軍は嵐に見舞われいったん引き返すも、ついにイングランドに上陸を果たし、用意した印刷物を大量に配布し自身の軍に加わることを勧誘した。
イングランド軍に寝返りが発生し、ジェームズ二世は窮地に立たされる。
戦わずしてウィレム軍はイングランドを席巻した。
ジェームズ二世はフランスへの亡命を企てるが、ケントで議会派の軍につかまり監禁される。
王妃や王子らは無事フランスに逃げおおせた模様だった。
ロンドンでジェームズ二世とウィレム三世の会談がもたれるものの決裂し、ジェームズ二世はロンドンから退去を命じられ結局フランスへ逃れた。
ウィレム三世は義理の父であるジェームズ二世にせめてもの恩赦のつもりで退去を命じたのだった。

こうしてほぼ無血クーデターを勝ち、オレンジ公ウィレム三世はオランダ総督からイングランドとスコットランドを統べる国王の地位に上ったのである。
なんで「名誉革命」というのか、はっきりしないが、どうやら議会を軽んじたジェームズ二世の治世からイングランド議会の名誉回復、立憲君主制を再確認する権利章典の制定の意味合いがあるのではなかろうか?

私は、オレンジペコーをもう一度淹れながら、壮大な歴史ロマンに想いを馳せた。