木島櫻谷(このしまおうこく)は明治期の日本画壇で名を馳せた奇才である。
彼の動物を題材にした精密な日本画は、江戸期の若冲よりも写実で、野生でありながら生き物の慈愛が感じられる画風が今も好まれている。

ただ、夏目漱石は違った…
文展(文部省主催の芸術展)で日本画の「一等」に輝いていた櫻谷の屏風絵『寒月』を観て、朝日新聞記者だった漱石は酷評を与えるのであった。
「今年の「寒月」も不愉快な点に於いては決してあの鹿(昨年二等賞を獲った屏風絵「若葉の山」:尚子註)に劣るまいと思う。屏風に月と竹と夫(それ)から狐だかなんだかの動物が一匹いる。其(その)月は寒いでしょうと云っている。竹は夜でしょうと云っている。所が動物は、いえ昼間ですと答えている。兎に角、屏風にするよりも写真屋の背景にした方が適当な絵である」と。
寒月
これが『寒月』だ。
京都市美術館が所蔵していて、いつでも観覧できるが、見事な描写である。
中央の、雪に足跡をつけている動物は、櫻谷によれば「狐」だという。
左手のずっと遠くから延々と続く彼の足跡は、ひもじく、寒い狐の内心を表して余りある。
櫻谷が冬の鞍馬かどこかに逗留したときに着想したものらしい。
漱石が評するように、寒々しい月光、竹が漆黒の夜を演出しているのにもかかわらず、この狐の目は昼間の明るい時の瞳になっている。
その、あげ足取りのような漱石の酷評は、櫻谷をひどく傷つけたに相違ない。
彼はこののち、ひっそりと京都に隠棲するのだった。
『寒月』の竹林をつぶさに観察すると黒一色に見えた竹の表面は群青であることがわかる。
その群青もさまざまなグラデーションのものが使われていることが専門家の分析によって明らかにされている。
実際、彼のアトリエには使いきれなかった高価な岩絵の具の「群青」が遺されていた。
「群青」は加熱時間によって、酸化されて暗色化することがわかっている。
その微妙な色相の違いを櫻谷は巧みに使って、深みのある闇を竹で表した。
漱石が「写真屋の背景にでも」と言ったのは、裏を返せばそれほど真に迫っていた表現だったのだ。
たしかに従来の日本画の、ことに屏風絵の様式を壊している作品だ。
それは櫻谷も承知の上で、新たな分野を切り開いたのである。
漱石のひ孫の夏目房之介氏が『日曜美術館』でこの件について語っていた。
おそらく漱石はこの絵を見ることで、西洋と日本の文学の間で悩み苦しんでいる自分の姿を、鏡に映したように見せられ、嫌悪感にいたたまれなくなって、こんな評を書いたのだろうと推測していた。
「和洋折衷」は櫻谷が終生、日本画で試みたものだった。
彼の住まいにもその様式が残されている。

あらためて、漱石の『寒月』に対する評を読むと、なかなか名文ではないか。
漱石らしいニヒリズムが感じられる。
今日のNHK Eテレ『日曜美術館』から、感じたことを書いてみた。

櫻谷は六十二歳で京阪電車にはねられて亡くなったという。