パラリンピックを観ていて、健常者以上の活躍を見るにつけ、「みんながみんなそうじゃないよ」と私は思う。
障がい者と一緒に暮らし、輝けない人生を送っている人の方がはるかに多い。
競技を観て「ああやって頑張れるなら、日本の障がい者も前途が明るい」なんて思われたら、「それは違う」と言いたい。
明るいもんか。
障がい者がみんなトップ・アスリートになれるわけがなかろう。
よけいにプレッシャーというか、むしろ諦観にさいなまれるものだ。
夢など描けない暮らししかできない。
パラリンピアンは選ばれた人たちなのだよ。
あんなに強い精神力や体は、健常者でもそう簡単には手に入れられない。
ほぼ曲芸に近い競技をし、いやらしい話だが、そのためにどれだけお金がかかっているか…
先進国しかパラリンピアンは成果を出せない。
パラリンピックがそのまま格差社会になってしまっている。
※放送も少ない…

私だって、がんばっているパラリンピアンを応援はしたい。
感動ももらえている。
しかし、現場はそうじゃないのよ。
障がい者本人も、その家族も、疲れ切っている。
そう。
考えるのもおっくうになるくらいね。
出口の見えない毎日は、努力してどうこうなるもんではない。
だんだん出口は遠くなる。
いや、今、見えている出口は、近づいたら出口に見えた「絵」かもしれない。
堂々巡りはそこかしこにある。
みんなそう。

障がい者の社会参加が叫ばれて久しいけれど、牛の歩みのように遅い。
参加しようにも、受け入れてもらえないではないか。
点字ブロックには放置自転車が乗っかり、盲導犬はまだレストランに入れてもらえない誤解がある。
ホームから転落する盲人が後を絶たず、車いす駐車スペースには健常者が堂々と車を停めている。

障がい者を「邪魔者」だという人はいないが、思っている人は確実にいるようだ。

私も偉そうなことは言えないけれど、この出口のない生活に、少しだけ優しさがほしいものだ。

人生は堂々巡り。