姉の聡美(さとみ)からメールが来た。
「なんだろ、めずらしいな」
開けてみると、
「尚ちゃん、ごぶさた。元気にしてる?突然のメールで申し訳ないんだけど、周平がアルバイトをしたがってるんだけど、学校じゃ禁止されてるのね。それで親戚の手伝いってことなら許されるらしいんで、そっちの薬局で手伝わせてやってくれないかな。ご迷惑かもしれないけど、社会勉強させると思ってお願いできないかな?お返事待ってます」
とあった。
周平と言うのは姉の長男で、去年県立高校に入ってお祝いしたから、この春には二年生になるはずだった。
つまりは、私の甥っ子だ。
私たち夫婦には子供がないので、お店を手伝ってもらえるのはありがたいことだった。
日本一人口密度の高いこの街で、この近所にはスーパーマーケットが多いから競争が激しいけれど、幸いうちは馴染みが多く、日用品を買い求めるお客で忙しかったからだ。
私は快諾の返信メールをすぐに送った。

私と姉は七つも離れていて、甥の周平君は私を姉のように慕ってくれていた。
私が独身の頃は世田谷の実家にいたので、よく周平君をディズニーランドに誘ったりして姉弟のように仲良くしていたものだった。
彼も高校生になって、しばらく距離を置いていたから、うちに来るとなると一年半ぶりの再会になるはずだった。

私たち姉妹は、お互い結婚して世田谷の実家を出、それぞれ千葉と埼玉で離れて暮らしている。
そうなると、お正月くらいしか顔を合わさなくなり、ことに今年の年末年始は私がインフルエンザに罹って会えなかった事情もあった。

私は四年前に姉の夫、つまり義兄の渕上周一の紹介で、蕨(わらび)市で薬局を開業していた近藤良和と結婚した。
義兄は、良和と幼馴染で、二人は蕨の出身だった。

そうして私たちは、彼の実家が経営する薬局で生計を立てている。
彼の両親は去年の春、隠居すると言って、別荘のある長野で念願の田舎暮らしを決め込んでいた。
登山好きのご両親は、私たち夫婦にはまったく干渉しないでくれていた。
世間一般の親御さんが口にする「早く孫の顔が見たい」ということも言わなかった。
私たちにとっては、ありがたいことだった。

私たちはまだ新婚であり、普通に性生活を持ち、特に避妊もしていなかったが、まったく妊娠の兆候がなかった。
夫はセックスに対して淡白なほうかもしれない。
私の男性経験からはそう思うのだ。
私は独身時代、一人の男性と付き合ったことがあったが、彼は若さもあったから、けっこう、激しく求められたものだった。
会うたびにホテルに行きたがり、いろいろさせられた。
私が結婚を迫ると去っていった。遊びのつもりだったのだろう。
夫にも話したことがない過去だった。

今年、私も三十になったので、不妊治療をするべきかどうか、私たちは迷っていた。
実際、本当に子供が欲しいのかどうかも曖昧だった。
ただ、私たち夫婦は子供が好きだった。
夫の良和も地元の少年野球チームの監督を手伝ってコーチなどをしていたから、子供らには慕われていたほうだ。
彼が、高校球児だったけれど、甲子園には縁のない公立高校の出身だったと冗談めかして言うのを、婚約したころに聞いたことがあった。

「春休みになったら、周ちゃんが来て手伝ってくれるって」
私は、昼食のときに夫に伝えた。
「おお、そうか。今年は会ってないからずいぶん大人になったろう」
彼は、さも嬉しそうに言って、ご飯を頬張る。
いつも昼は、住居と一緒になっている店の奥のキッチンで取るのだった。
メニューは朝の残りだったり、コンビニ弁当だったりする。

センバツが始まる頃、甥の周平が大きなカバンを下げて店にやってきた。
「こんちはぁ」
「あら、いらっしゃい」
髪を短く刈って、みずみずしい青年が逆光の中に立っている。
しばらく見ないうちに、こちらがはにかんでしまうくらいだった。
私は、しばらく言葉を失っていた。
「おばちゃん?どうしたの?」
「え、あ、あんまり、男らしくなってるんで…見違えたわ。入って、主人は今、外回りに出てるのよ」
調剤薬局でもあるので、夫は病院の処方箋をもらった高齢の患者さんには薬を届ける仕事もしている。
「そうなんだ。おじゃましまぁす」
「どうぞ。あがって」

若いということはそれだけで残酷なものだ。
私は、自分の所帯やつれした「おばさんくさい」姿が急に恥ずかしくなった。