私はいつもの喫茶店に入って、森田検索に日本が開国にいたる経緯、疑問などを訊いてみた。
「吉田松陰が幕府の日米修好通商条約の締結を謗(そし)ったのはなんでなん?」
「そりゃ、不平等条約だったからですよ。処女たる鎖国状態の日本をアメリカが強姦しようとしたと例えられたわけだから。それに尊皇派でもある松陰は、天皇の裁可を仰がずに、幕府が勝手に不平等な条約をアメリカに飲まされて結んだから激怒したんですよ」
「あたしも不平等だったというのは教わった。どのくらい不平等だったの?」
「有名なのは米公使のタウンゼント・ハリスが申し出た、関税自主権を幕府に認めなかったことでしょう」
「トランプみたいね」
「トランプ大統領は一応、日本の主権たる関税自主権を認めていますよ。ただ、日本が一方的にアメリカ製品に関税を高くつければ、対抗処置にでるというのが今の外交筋のやり方ですから」
「ほかには?」
「アメリカ人が裁かれる裁判権を日本に認めなかった。今だって、沖縄の駐日米軍の地位協定に似たような規定があるのはご存知でしょう?」
「治外法権ってわけね」
「まあ、そういうことです」
「ハリスは強硬な男だったの?」
「伊豆の下田に駐在していたハリスは、幕府にとって邪魔な存在でした。横柄で、幕府を見下していた。そして押しの強さでハリスは下田に公然と居座るんです。いい答えを聞くまで帰らないとね」
「いやらしい奴ね」
「彼は聖公会の信徒でね、生涯童貞をつらぬいたそうですよ」
「うはっ、キモイわね。セイコー会なんだから性交すりゃいいのに」
「字が違いますって。アメリカには多いのですよ。カトリック系なんですかね。ぼくは詳しいことは知らないんですがね」
「ちょっと聞くけど、安政の大獄って、具体的にはどんなものだったの?」
「松陰も刑死した一連の反幕府狩りですよ。大老の井伊直弼が首謀者で将軍家定が病弱だったかなんだかでまつりごとをみんな井伊大老に任せっきりだった。そんで彼は万延元年、水戸藩士に桜田門外で殺された」
「レッドパージね。でもなんで水戸藩士なの?将軍の継承問題かなんかがあったのかな?」
「共産主義とは関係ないですが、やり方はよく似ています。継嗣問題と水戸藩は関係がなかったけれど、水戸学を学ぶ彼らは京都の公卿に接近していて、尊王攘夷の思想にどっぶり浸かっていたいたからです」
「ほほう。水戸学なんだ」
「もちろん当時は十三代将軍家定に世継ぎがなく、将軍は精神的にも不安定な人だったので継嗣問題は持ち上がってましたよ。一橋家からは最後の将軍になるはずの慶喜が推挙されていたし、紀州徳川家は藩主の若干十二歳であった慶福(よしとみ:後の十四代将軍家茂)を推すなどで波乱含みだったんですよ」
「島津斉彬らが推してた一橋慶喜だったけど、たしか斉彬が急死するんだよね。それで井伊直弼が紀州の殿様を推挙しちゃうんだったね。年齢と聡明さから選べば慶喜が適任だったんだけど、結局、南紀派の井伊直弼が紀州藩と働いて家茂(いえもち)を十四代将軍にするのよね」
「そうです。彼はまだ十三歳ですよ」
「だから大老が大きな顔をしていたわけだ」
「家茂は孝明天皇の妹君、和宮との婚儀で公武合体を図ったことはドラマにもなったし、有名な事件でした。すでに和宮内親王は有栖川親王と婚約していたのにもかかわらずそれを破棄して将軍家に下ったんですから」
「大変な時代だったんだね。一橋慶喜はどうやって十五代将軍になったんだっけ」
「それは、家茂が病没したからですよ」
「え?若かったでしょ?」
「そうですよ。二度目の長州征伐のさなか、脚気で二十一くらいで大坂で亡くなっています。跡継ぎに田安亀之助を遺言で指名していたんですが、一橋慶喜を推す一派が、井伊直弼のいない今度こそと慶喜を十五代将軍に推すのです」
「誰?亀之助って」
「徳川家の宗家の十六代目だそうで、徳川家達(いえさと)の名で通っていた人です。静岡藩の藩主だったらしい。明治大正昭和と政界で貴族院議長などを歴任し「十六代様」なんて呼ばれてたんですよ」
「知らないな」
「ま、徳川家は今も存在してますけどね」
「あ、もう時間だ。旦那のお迎えに行かないと」
「そろそろ私も職場に戻ります」
「ありがとね」
「ええ、こちらこそ」
私たちは、喫茶店の前で反対方向に別れた。