私たちヒトは火を使う。
このことは、ほかの動物との違いとしてよく例に挙げられる。
動物は普通、火を怖がるからである。
その理由として、火に焼かれると生命の危険にさらされ、火傷は痛くて苦しいから、彼らのDNAに「火は怖い」と刷り込まれているからだ。
家畜で、ペットなどはヒトと共に生活することから、野生動物ほど火を怖がらない。
焚火やストーブで体を温めるイヌやネコの姿はおなじみだろう。
私の飼い猫も、幼獣の頃、電気ストーブに近づきすぎてウィスカ(ひげ)を焼いてしまったことがある。
これなどは学習による「馴れ」がないので、彼女は近づきすぎたのだが、電気ストーブの場合「裸火」でないのでネコには「熱い」という認識ができなかったのだろうと、私は想像する。
ところが老猫になり、石油ストーブで暖を取る彼女が、やかんを置くストーブの天板が空いているときに、上りはしないかと私が気をまわして、必ずやかんを掛けるようにしているのだが、たまにやかんをのけて置くことがあり、あわててやかんを用意するのだが、そんなときでも彼女はけっして焼けた天板に不注意に上がることはなかった。
熱いということを知っているのだろうか?
対流による熱伝導で天板が焼けるのだが、そのことを彼女は一度も経験せずに、察知しているのだろうか?
そのことは、いまだにわからずじまいだ。
ヒトが火を使った形跡は、ホモ・エレクトゥスの遺跡から発掘される。
石器で傷つけられた獣骨に焦げた跡があったり、そういう食べ残しが一塊になっていたりしたからだ。
これだけでは自分で火を起こしたという証拠には乏しい。
なぜなら、山火事などの自然発火を利用したのかもしれないからだ。
もし、火打石やキリの火起こし器具などが同時に出土していれば、その証左にはなったろう。
石器はさらに古い原人、アウストラロピテクスたちがすでに使っていた。
打製のものが彼らの生活遺跡から出ている。
一方で、ホモ・エレクトゥスたちの石器、たとえば「ハンドアックス(石斧)」の中には磨製のものもあり、工夫を凝らさていて、大脳の発達をうかがわせる。
私が手伝っている私塾で、いつだったか「ヒトはなぜ火を使うようなったか?」というブレインストーミングを中学生の塾生相手におこなったことがあった。
そこでまとまった結果は、だいたい次のようだった。
「火で肉を焼いて食べるとおいしい」
「肉は火で焼くと、消化しやすい」
「火を使うことで夜が安全になった」
「火を使うと体を暖められる」
「火があると、夜が楽しい」
私のノートにこのように記してあった。
どれも大事な要素を含んでおり、さすが中学生ともなるとしっかりしたこと言うようになるものだと感心した。
上の二つが「調理」の発明に関することであり、おそらく学者も同じことを言うだろう。
肉はナマよりも焼くなり加熱すると、たんぱく質がアミノ酸にまで分解され、うまみを感じるし、胃腸での消化の行程が簡略になる。
すると、どういうことが起こるかというと、アウストラロピテクスよりもホモ・エレクトゥスのほうが腸が短いという「進化」につながったと、現在の人類学は説明する。
さらに言えば、このような高度な調理をするために、大脳の巨大化が同時に起こっており、より直立歩行に進化した体でしっかりと大きな頭を支える骨格になっていったと説明されるのだ。
四足歩行やチンパンジーに見られる、長い手を使った二足歩行では重い大きな頭が支えられないことがわかるだろう。
四足の肉食獣より格段に足が遅くなっても、二足で立ち、両手が使え、頭が大きくて知恵があれば、外敵から身を守る術も編み出せる。
次いで、三番目の火の効果が、私がここで最初に挙げた例の理由でもある。
ヒト以外の動物が火を怖がることを利用して、夜間に危険な夜行性肉食獣から身を守るのだった。
同時に、寒い夜に火は体を暖めてくれることも知っただろう。
焚火の周りで家族が集まり、団らんする。
コミュニケーションが発達すると、大脳もますます発達するのだ。
「火があると夜が楽しい」と答えた男子生徒はキャンプが好きだった。
彼の経験から即座にそう答えてくれたのだった。
彼は、
「火を見ると、踊ったり、歌いたくなるんや」と、言った。
なるほど、ホモ・エレクトゥスたちもそうだったにちがいない。
足を踏み鳴らし、手をたたき、楽器の原型もできていたのではなかろうか?
そして、ここからは大人の世界の話だが、夜の生活もまた火の回りで行われたのだろう。
火が安全を保障し、大人は性交に没頭し、子孫を繁栄させたに違いない。
さっきの設問を「ヒトはいつ火を使うことを覚えたか?」に変えるとどうか?
おそらく、山火事による自然発火の火を採取したのか、山火事で死んだ動物の肉を食べて「おいしい」と感じたのと同時だったのではないだろうか?
それほど「うまい肉」はヒトを魅了し、危険を冒してでも火を手に入れようと火事場まで赴いたに違いない。
そのうち、手に入る道具で火を起こすことを考えようとする。
火打石?摩擦発火器具?のどちらかだろう。
もうひとつ条件を忘れていた。
「焼いた肉がうまい」と感じる「舌」というか「味覚」をわれわれが有していなければならない。
舌の進化はいつごろから起こったのだろうか?
イヌやネコなどの肉食獣は肉のうまみを知っているようだ。
ネコの鰹節に対する執着はヒトを凌ぐほどだ。
ネコはアミノ酸の塊である鰹節に反応するし、イヌや私たちヒトもそうだし、また獣脂の濃厚な味にも魅了される。
焼いて脂肪細胞が破壊され、肉汁として滴り落ちる焼き肉がうまいのは当然だ。
カロリーの高い獣脂は、厳しい自然の中で生きていくうえで大変、高級な栄養だったに違いない。
これらを「うまい」と感じるように舌が進化したのは当然かもしれない。
なにも「まずい」と思って食べたくないからだ。
食欲は動物の本能の重大な要素だ。
生きて子孫を残すためには「食べたい」という要求が第一であり、その味の追及に余念のなかった人の先祖が火を自分の生活に取り入れようとしたのは至極当たり前のことだったのだろう。
考えることは楽しい。
このことは、ほかの動物との違いとしてよく例に挙げられる。
動物は普通、火を怖がるからである。
その理由として、火に焼かれると生命の危険にさらされ、火傷は痛くて苦しいから、彼らのDNAに「火は怖い」と刷り込まれているからだ。
家畜で、ペットなどはヒトと共に生活することから、野生動物ほど火を怖がらない。
焚火やストーブで体を温めるイヌやネコの姿はおなじみだろう。
私の飼い猫も、幼獣の頃、電気ストーブに近づきすぎてウィスカ(ひげ)を焼いてしまったことがある。
これなどは学習による「馴れ」がないので、彼女は近づきすぎたのだが、電気ストーブの場合「裸火」でないのでネコには「熱い」という認識ができなかったのだろうと、私は想像する。
ところが老猫になり、石油ストーブで暖を取る彼女が、やかんを置くストーブの天板が空いているときに、上りはしないかと私が気をまわして、必ずやかんを掛けるようにしているのだが、たまにやかんをのけて置くことがあり、あわててやかんを用意するのだが、そんなときでも彼女はけっして焼けた天板に不注意に上がることはなかった。
熱いということを知っているのだろうか?
対流による熱伝導で天板が焼けるのだが、そのことを彼女は一度も経験せずに、察知しているのだろうか?
そのことは、いまだにわからずじまいだ。
ヒトが火を使った形跡は、ホモ・エレクトゥスの遺跡から発掘される。
石器で傷つけられた獣骨に焦げた跡があったり、そういう食べ残しが一塊になっていたりしたからだ。
これだけでは自分で火を起こしたという証拠には乏しい。
なぜなら、山火事などの自然発火を利用したのかもしれないからだ。
もし、火打石やキリの火起こし器具などが同時に出土していれば、その証左にはなったろう。
石器はさらに古い原人、アウストラロピテクスたちがすでに使っていた。
打製のものが彼らの生活遺跡から出ている。
一方で、ホモ・エレクトゥスたちの石器、たとえば「ハンドアックス(石斧)」の中には磨製のものもあり、工夫を凝らさていて、大脳の発達をうかがわせる。
私が手伝っている私塾で、いつだったか「ヒトはなぜ火を使うようなったか?」というブレインストーミングを中学生の塾生相手におこなったことがあった。
そこでまとまった結果は、だいたい次のようだった。
「火で肉を焼いて食べるとおいしい」
「肉は火で焼くと、消化しやすい」
「火を使うことで夜が安全になった」
「火を使うと体を暖められる」
「火があると、夜が楽しい」
私のノートにこのように記してあった。
どれも大事な要素を含んでおり、さすが中学生ともなるとしっかりしたこと言うようになるものだと感心した。
上の二つが「調理」の発明に関することであり、おそらく学者も同じことを言うだろう。
肉はナマよりも焼くなり加熱すると、たんぱく質がアミノ酸にまで分解され、うまみを感じるし、胃腸での消化の行程が簡略になる。
すると、どういうことが起こるかというと、アウストラロピテクスよりもホモ・エレクトゥスのほうが腸が短いという「進化」につながったと、現在の人類学は説明する。
さらに言えば、このような高度な調理をするために、大脳の巨大化が同時に起こっており、より直立歩行に進化した体でしっかりと大きな頭を支える骨格になっていったと説明されるのだ。
四足歩行やチンパンジーに見られる、長い手を使った二足歩行では重い大きな頭が支えられないことがわかるだろう。
四足の肉食獣より格段に足が遅くなっても、二足で立ち、両手が使え、頭が大きくて知恵があれば、外敵から身を守る術も編み出せる。
次いで、三番目の火の効果が、私がここで最初に挙げた例の理由でもある。
ヒト以外の動物が火を怖がることを利用して、夜間に危険な夜行性肉食獣から身を守るのだった。
同時に、寒い夜に火は体を暖めてくれることも知っただろう。
焚火の周りで家族が集まり、団らんする。
コミュニケーションが発達すると、大脳もますます発達するのだ。
「火があると夜が楽しい」と答えた男子生徒はキャンプが好きだった。
彼の経験から即座にそう答えてくれたのだった。
彼は、
「火を見ると、踊ったり、歌いたくなるんや」と、言った。
なるほど、ホモ・エレクトゥスたちもそうだったにちがいない。
足を踏み鳴らし、手をたたき、楽器の原型もできていたのではなかろうか?
そして、ここからは大人の世界の話だが、夜の生活もまた火の回りで行われたのだろう。
火が安全を保障し、大人は性交に没頭し、子孫を繁栄させたに違いない。
さっきの設問を「ヒトはいつ火を使うことを覚えたか?」に変えるとどうか?
おそらく、山火事による自然発火の火を採取したのか、山火事で死んだ動物の肉を食べて「おいしい」と感じたのと同時だったのではないだろうか?
それほど「うまい肉」はヒトを魅了し、危険を冒してでも火を手に入れようと火事場まで赴いたに違いない。
そのうち、手に入る道具で火を起こすことを考えようとする。
火打石?摩擦発火器具?のどちらかだろう。
もうひとつ条件を忘れていた。
「焼いた肉がうまい」と感じる「舌」というか「味覚」をわれわれが有していなければならない。
舌の進化はいつごろから起こったのだろうか?
イヌやネコなどの肉食獣は肉のうまみを知っているようだ。
ネコの鰹節に対する執着はヒトを凌ぐほどだ。
ネコはアミノ酸の塊である鰹節に反応するし、イヌや私たちヒトもそうだし、また獣脂の濃厚な味にも魅了される。
焼いて脂肪細胞が破壊され、肉汁として滴り落ちる焼き肉がうまいのは当然だ。
カロリーの高い獣脂は、厳しい自然の中で生きていくうえで大変、高級な栄養だったに違いない。
これらを「うまい」と感じるように舌が進化したのは当然かもしれない。
なにも「まずい」と思って食べたくないからだ。
食欲は動物の本能の重大な要素だ。
生きて子孫を残すためには「食べたい」という要求が第一であり、その味の追及に余念のなかった人の先祖が火を自分の生活に取り入れようとしたのは至極当たり前のことだったのだろう。
考えることは楽しい。