敬愛しつつも同じ道を歩まない…
画家ベラスケスとルーベンスの関係はそうだった。
スペイン国王フェリペ四世に仕えた宮廷画家のベラスケスは、マドリードの宮殿に数々の絵を描いた。
ベラスケスは大先輩のルーベンスを敬い、また反面教師としていたらしいふしがある。

ルーベンスは神話を題材にした大作が有名だけれど、フェリペ四世の膨大な絵画コレクションを写すために宮殿を訪れた際、ベラスケスと邂逅した。
ベラスケスはルーベンスの巧みな技に、自身の未熟さを思い知る。
しかし、そこにはルーベンスへの思慕もあり、静かな、しかし熱い対抗心を惹起させた。
「ルーベンスの、どこか異世界の描き方は、なるほど神話の世界にはふさわしいのかもしれない。しかし、私は…実在の人物に神話の世界を演じさせ、リアリズムを追求するのだ」
とでも言いたげな、ベラスケスの描いた軍神マルスの肖像。
ベラスケス軍神マルス
プラド美術館所蔵のベラスケスの「軍神マルス」の絵

ルーベンスは凱旋したマルスが、ヴィーナスと密会するシーンを妖艶な姿で描いて見せたが、ベラスケスはマルスだけを抜き出し、半裸の彼が意気消沈してうつむく姿で描き出した。
なぜなら、マルスは、夫(火の神、ヴルカヌス)のあるヴィーナスに「間男」して、その夫に現場を押さえられたという逸話から、この疲れ切った中年男の姿に描いたのだ。
だから、どこにでもある「不倫話」を、これまたどこにでもいる「おっさん」に演じさせ、そのリアリズムを追い求めたのだ。
「ルーベンス先生には描けまい」
そうベラスケスが思って描いたかどうかはわからぬが、もちろん技術的にはルーベンスにも十分に描けただろうが、彼の品格が描かせなかったに相違ない。
神話から市井に絵画の舞台が落とされるのは、ルーベンスには我慢ならなかっただろうから。
(NHK『日曜美術館』より)