白井聡といえば『永続敗戦論』(2013)で一世を風靡したが、このほど『国体論 菊と星条旗』を集英社新書より上梓されたようだ。

政治学者の本で『永続敗戦論』ほど巷間に広まったものは少ない。
戦争を惹き起こして負けた日本の「敗戦国」というレッテルや「レジーム」は永遠に消えないということなのだ。
そもそも「許してもらおう」というのが甘いのである。
アメリカは日本を「五十一番目の州」と位置付けているのではないかと、私なんかは思うのだけれど、アメリカにとっては「州」に組み込めば、「飯を食わさ」ねばいけないので、それは決してしない。
アメリカは安保を利用し、都合よく沖縄に基地を置いて、「お荷物」の沖縄県民は日本に帰してしまい、うまいことやっている。

白井氏は私の考えとも近しいので、ひいき目に書いているが、四十代の若い学者で実に柔軟な頭を持っていると見受けられる。
安倍晋三が内閣総理大臣になって以降、ますます白井氏の言論が的を射ているように思うのは私だけだろうか?
おもえば、第二次安倍内閣が発足してから、第四次までの長期政権になってしまうとは予測がつかなかった。
もちろん自民党支持者なら「そう思っていた」と言うに違いない。
しかし、左派の私から言わせれば、もっと早くに退陣させたかったと悔しい思いでいっぱいなのだ。

私のことはほっておいて、白井氏の著作である。
「国体」とはなんぞや?
今や、古臭い概念であるが、今の日本に厳然と存在しているものである。
戦前の国体は、すなわち「天皇制」そのものを指していたので、戦後の日本国憲法下では「国体」は否定されたかに見える。
しかし天皇は「日本の象徴」として生き続け、生前退位と継嗣問題で今また、「国体」は注目されるに至っている。
白井氏は「戦後の国体とは、米国に追従する構造」だと指摘する。
安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」を唱え、新しい日本の在り方を強調するが、その実、「対米追従の強化」こそがこれからの日本を安定発展させる礎だと説く。
戦前は「鬼畜米英」と攻撃していたのに、マッカーサーの占領下では手のひらを返したような変わりようだった。
対米追従こそ日本の国体だというのは、憲法九条が「軽武装=自衛隊」による経済成長と平和国家像を支え、アメリカの核の傘(抑止力)に守られ、一方で沖縄に基地が押し付けられているという現在の形が示していると解説する。
昭和天皇はマッカーサーの考えに従い、アメリカを、社会主義の脅威から天皇制たる「国体」を護持する「征夷大将軍」と位置付けたと白井氏は大胆な理論を展開する。
アメリカが、「征夷大将軍」いわんや「幕府」であり、「天皇」から日本を統治するという構造の名目を与えられたのだと。
天皇がアメリカを将軍に任命し、日本を、天皇制を守らせる…
それは例えではあるが、「国体は米国が日本の上に君臨する構造に変更された。つまり天皇制は実際の主権者を見せない目隠しになった」と言うのだ。

「米国に追従する国は多々あれど、従属することが自己目的化した国は日本だけだ」とも言う。
それは昨年、トランプ氏が大統領選を勝ち、真っ先に朝貢外交とばかりに、安倍晋三首相が渡米し「親密さ」をアピールしたのも記憶に新しい。
はたまた安保に絡む言葉には「思いやり」だの「トモダチ」だの情緒的なものが目に付くとも指摘している。
この日本の元首の態度の原点は「マッカーサーが昭和天皇の高潔さに打たれた」ことにあるという。
「アメリカが日本を理解し(天皇を戦犯にしなかった)、愛している。だから我々日本人はアメリカに従属するのだ」というわけだ。

これは戦前の天皇と臣民の関係が、アメリカと日本の間で繰り返されているに過ぎない。

憲法を「アメリカの押し付け」と嫌う自称保守派が米国にすがるという矛盾、中韓に対するヘイトデモには日の丸とともに星条旗を掲げる奇妙な行動…
挙げればきりがないが、アメリカへのコンプレックスとアジア蔑視はセットになっていると白井氏は説くのだ。

白井氏のこの本の結論は、ついに「菊」に迫る…
陛下は、退位をほのめかした「お言葉」のなかで「戦後国体」による国家と社会の破壊に「待った」をおかけになったのだ。

私は、白井聡や内田樹鈴木邦男という思想家が今の日本にいてくれることで「捨てたもんじゃない」と思えるのです。
http://vcrmnfeconi-wawabubu.blog.jp/archives/1067439907.html