あたしは『子供の科学』を購読していた。
小学校五年生の終わりから中学に上がるまで毎月、同居していた叔父に買ってきてもらっていたと記憶している。

そこに「大賀ハス」の記事があった。たぶん…
千葉県の印旛沼(いんばぬま)付近の泥炭層から弥生期の小舟などが出土し、そこは当時から湿地帯で、だから印旛沼も湿地なのだった。
印旛沼は利根川水系の沼で、利根川が増水するとかならず印旛沼で横溢して周辺に損害を与えていた。
江戸時代から印旛沼の治水事業は行われ、沼の水を逃がす水路(花見川)が作られたが、その付近に東大の農場があり、その中の落合遺跡で「大賀ハス」の実が発掘された。
戦時中に、泥炭を燃料にするためにこの辺りは盛んに採掘されたらしく、それは物のない戦後も続いていた。
1947年ごろ泥炭を採掘していた男性が偶然にも、古代の木船やハスの花托を見つけたことから、植物学者の大賀一郎関東学院大学講師(当時)が「ハスの実」もあるはずだと直感し、さらに採掘が進められたらしい。
しかし、目的のハスの実はどうしても見つからず、あきらめかけた採掘最終日に地元の女子中学生が、たった一粒のハスの実らしいものを見つけたのだった。
さらに日を延長して、採掘を続けた結果合計三つのハスの実を採取できたのである。

大賀先生は戦前にも古代ハスの実を発芽させた実績があった。
しかしそのハスは先生の不注意から枯らしてしまったのだった。
今度こそと、先生はこのハスの実を発芽させ、花を開かせるまでがんばるのだと自宅で育てるのだった。
三つのうち、最初の女の子が見つけたハスの実だけが発芽して、大輪の花を咲かせたのである。
このニュースは世界を驚かせ、このハスは「大賀ハス」として今まで受け継がれている。

『子供の科学』の記事は、ざっとこんなものだったと思う。
ハスの花のつぼみから開花までの様子を、大賀先生が手のひらで説明されている写真が掲載されていて印象に残っている。


印旛沼は湖沼の生涯のうちで、末期の状態だと言われる。
湖にだんだんと土砂が溜まって浅くなって、ついには沼になって、排水が進み、湿地となって生涯を終えるのだと地学などで習うだろう。

これが海岸だと「溺れ谷」という沈下現象で谷に海水が侵入しリアス式海岸になるのだが、印旛沼は海から遠く内陸にあったので沼のまま一生を終えることになるのだった。
リアス式海岸に似たもので「ダルマチア式海岸」というものがあることも教わったと思う。
海岸線に平行な細長い島々ができる、リアス式と同じで「溺れ谷」の結果、そうなる海岸である。
地中海のアドリア海に面するバルカン半島側クロアチアの「ダルマチア地方」の特有の地形だからこの名がある。

だからこそ、印旛沼周辺に約2000年も前の植物が生きたまま保存されたのだということだ。
(後に、同時に出土したカヤ製の小舟の炭素14年代測定で、だいたい2000年まえとアメリカの機関がはじき出した)

まだアメリカ占領下にあった日本のささやかな希望だった。
戦前から、大賀先生は東京帝大理学部を卒業し大学院に進みハスの泰斗と言われるまでになられた。
戦時中は満鉄に入って、古代植物資源・泥炭などの利用研究をされていたのだろうか?
しかし、軍部の満州政策に反対して退社されたという。

物言いがついた地磁気転換年代「チバニアン」はどうなるのだろう?