2009(H21) 10月 妻が脳出血で緊急手術・右片麻痺
2010(H22) 5月退院、在宅介護、2008年秋のリーマン・ショックの影響で会社の経営が危うくなり給料の遅配が起きるが辞められず。
2011(H23) 東日本大震災・地デジ移行・無線局再開
2011(H23)秋 糖尿病治療
2012(H24)3月 職場移転作業
2012(H24)4月 新しい職場、真帆を送迎、デートに誘う。
2012(H24)7/15 真帆と蜜月・破綻
2012(H24)8/23 出会い系売春、50歳の決断
2012(H24)秋 ameblo開始
2013(H24)1/11 真帆退社
2013(H25)4/23 出会い系中止
2013(H25)秋 ameblo閉鎖ライブドアへ移植、pcmaxで秀子と出会う。
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これは、ある親しい人の持ち物を整理していたら、手帳に書いてあったものだ。
その人はもういない。
突然、私の前から姿を消したからだ。

いつだったか、瀬戸内寂聴さんだったと思うのだが、だいたい次のようなことをおっしゃっていて、当時、不倫をしていた私の気が楽になったことがあった。

釈迦が「色即是空」の説法を衆人の前でおこなったときのこと。
「ここに、半分飲み物の入った器がある。これを見てあなたがたはどう思うか?」
ある人、曰く「もう半分しかないではないか」
ある若者、曰く「まだ、半分あるじゃないか」
釈迦は、微笑んで、
「もう半分しかないと答えたあなたは、まだ煩悩にとらわれている。我欲だ。そして、まだ半分あると答えたそなたは、前向きでよろしい。が、しかし、それでもまだ煩悩にとらわれている」
若者曰く「じゃあ、お釈迦様はどうお考えなのですか?」
「わたしなら「器に半分の飲み物が入っている」とするが、いかが?」
「それでは、そのまんまではないですか」
「そこじゃよ。色即是空じゃよ」
「はぁ?」
要領を得ない若者は、首をひねる。
「まだ、半分あると答えたお前は、その残った飲み物を自分が飲み干すか、だれかに分け与えるかするだろう。それこそ色(しき)にこだわっている証拠だ。欲を捨て、そこにあるがままを受け入れることが色即是空なのだよ」

寂聴師は、不倫をテーマにこのようなお話をされたと記憶している。
世の中に不倫の種はつきないが、そもそも不倫をするということは「悪」なのかどうかだ。
世間一般には「不倫」は許されぬ不貞行為であり、わが国では法律的にも罰せられる。
ひとつに、既婚者がほかに女を作って肉体関係を密かに結んだとすれば、不倫をされた配偶者からすれば裏切られたわけで、慰藉(いしゃ)されねばならないという常識。
不倫をされた配偶者に「落ち度」はないからだというのが理由だろう。
しかし、不倫をされるということは、配偶者に対して本人が満足していなかったという背景はなかったか?
「飲み物が半分しかない」という不満は、「裏切られた」という不満になぞらえられる。
また、「まだ半分残っているではないか」という希望は、「魔が差したのだ、この人を信じよう」という前向きな考えにつながって、良い結果を生むかもしれないが、しかし、また裏切られるという不安も払拭されてはいない。

寂聴師は続けて、
「そこで色即是空の境地で不倫を考えてみましょうよ。不倫が悪だと決めてかかると、裏切られたとか、またされるんじゃないかと悩みがつきませんね。ここでね、「器に飲み物が半分入っている」と考えるのです。決して「半分残っている」とか「半分しかない」なんて思っちゃいけないの」
つまり、不倫をしている夫を認めるのだということらしい。
そういう夫と結婚したのだ。
ただ「仕方がない」とあきらめるのでは、わだかまりが消えない。
不倫をしている夫も、自分のことをパートナーとして選んでくれた夫も同じ人であり、あきらめるのではなく「受け入れる」のである。
人生は一度きりだし、彼にも人生を謳歌する権利はある。
妻の私以外に、心のよりどころを求める女がいてもかまわないではないかと考えるのだと。
「私が気に入らないから、浮気をするのだ」とは決して考えないこと。
男というものは浮気性なものだ、男の現象なのだと考えることが「色即是空」の悟りなんだと思えれば、自分もほかの男性に惹かれてもいいのだと、解放される。

こうして人間は「とらわれた考え」から自由になれる。
「不倫」という厳しい言葉を使うのではなく、自由恋愛なのだと改めれば腹も立たないし、言い得ぬ不安を抱かえ込むこともないのだ。

私は、科学者として、寂聴師のお話に感じ入った。
目の前の事実は、事実として観察して受け入れ、そこに感情を持ち込まない「冷徹さ」を「色即是空」に見たのである。
「色」は、まだ「とらわれている」のだ。
「空」は、解放されたのだ。

さて、先に示したある男のメモは、どうやら不倫の記録のようだ。
彼は妻が、もはや脳出血で自分では動けないし、夫の不倫を疑えるような知能を失っていることを奇貨として不特定多数の女と肉体関係を持ち、欲望を満たした。
その記録のように思える。
もし倫理という尺度を用いるならば、彼の行為は糾弾されるだろう。
しかし色即是空の尺度を用いれば、彼の行為は男として当然であり、不具の妻に、もはや求め得ない愛を、かりそめの女に求めたとしても自然な行いとして問題にならない。
それが男だからだ。