中華人民共和国の国歌は、毛沢東や鄧小平の時代「東方紅」だったと思う。
私が中学時代にBCLをやっていたころ「北京放送」のインターバルシグナルなりステーションブレークのバックミュージックは「東方紅」だった。

「東方紅」の歌詞を読めば、毛沢東礼賛になっていて現代中国にそぐわないのかもしれない。
そこで「義勇軍進行曲(行進曲とする人もいるが中国では進行曲が正しい)」が国家として使われる。
一国二制度になって、「毛沢東」を象徴することに共産党指導部はわだかまりがあるのかもしれない。
習近平は「毛沢東」など、過去の偉人であり、いまさら人民の心をまとめるのに「毛沢東」を持ち出してもいささかの効果もないと知っているのだ。
習自身が、神格化されることを望んでいると、私には見える。
ならば、天安門の「毛沢東像」の額を取り替えたらどうだ?

以前にこのブログで「インターナショナル」を取り扱ったことがあった。
私自身、学生時代に左派活動をしていたから、この曲に鼓舞された思い出がある。
今も聞けば、心が躍る。
「インターナショナル」はフランス人の作品だが、世界に流布し、世界中の共産党活動に影響を与え、各国語に訳されたものが今も存在する。
日本語はもとより、中国語、朝鮮語、ロシア語、英語、ドイツ語、フランス語、ベトナム語…もっとあるかもしれない。
「リリー・マルレーン」と同様、メロディが流れれば、各国の人が母国語で「インターナショナル」を合唱できるだろう。
聞いてみたいものだ。

学生時代、まだバブルにはなっていなかったが、好況だった。
だからか好き勝手なことを言い、しでかしていた。
自由を謳歌していて、学生はそれが王道だった。
「コミケ」や「コスプレ」、「DAICON」「海洋堂」「ゼネプロ」「ロリコン」「マイコン」が活躍していたころである。
すでに「おたく」を連発する輩(やから)はたくさんいたが、かれらが「オタク」とは、まだ呼ばれていなかった。
アキバや日本橋(大阪)に彼らは根を下ろし始めていた。

そんなころ、私は「君が代」が嫌いで「インターナショナル」を国歌にすればいいと、本気で思っていた。
「君が代」は行進するにも、冗長で、歌詞は意味不明で、どうしても好きになれなかった。
反対に「インターナショナル」なら、気分はいやがうえにも高揚し、国歌として恥じないと思った。
ただすでに、この曲はあらゆる社会主義国家で歌われて、手垢にまみれていたのが玉に瑕(きず)だった。

最近、北朝鮮で「インターナショナル」が高らかに歌われているのを聞き、感慨深かった。
ある意味、全体主義にもってこいの曲なのだ。

つまり、今の日本のような「個人主義」の国にはふさわしくないのかもしれない。

話は変わるが、岩ガキ(牡蠣)のおいしい季節になった。
牡蠣(カキ、ボレイ)は何で「牡(オス)」なのか?
昔、中国ではカキはみな「牡」しかいないと信じられていた。
ところが、カキの生態をよくしらべると、「牡」しかいないということはなかったが、マガキの場合、繁殖期を過ぎると彼らは性を失い、中性になるらしい。
そこから、富栄養ならメスに、貧栄養ならオスになるという。
他のカキには雌雄同体のものもあるらしいが、貝類の場合、それが普通だ。

LGBTなんていう言葉が人間の場合にはあるが、人間もどうやら牡蠣のように性が一定していないのではなかろうか?
環境や、なんやらで性転換することがあっても、牡蠣でもそうなのだから、人間に起こっても不思議ではない。
いや、そもそも性は流動的であり、どっちにも転ぶ可能性があったのに、人間は大脳が発達しすぎて、不可逆的性になり、精神と肉体の不一致に嘆く性を得てしまったのだ。
そこに文化やら常識が介入し、いっそう、性をややこしくしてしまった。
牡蠣のように、海にたゆたって、性のことなどでなやまない生き方ができればいいのにと、牡蠣を食いながら思うわけだ。
人間はややこしい生き物だ。
めんどくさい生き物だ。
飼うなら、人間はよしたほうがいい。