「在特会」のごときレイシスト(人種差別者)が生まれる背景に、小泉改革を発端とする格差社会があると私は思う。
バブルがはじけて、終身雇用制度がほぼ崩壊し、非正規雇用という新たな働き方が、資本家の都合の良い労働力として利用されてきた。
正社員を雇うより、労使折半のない派遣社員は、いつでも首を斬りやすい労働力だった。
最初はまだ良かった。
雇われる側も、自由な雇用関係を結んで辞めたいときに辞めて、新たな職業に挑戦することができたからである。
とはいえ、日本の労働市場では頻繁な転職をする者に冷たかった。
「尻の座らない人間」は、企業では嫌われ、一度正社員に就く機会を失うと、新卒者より高いハードルを設定されることになった。
失われた十年とも二十年とも言われた就職氷河期を経て、人生設計を立てられない働き盛りの人々が世の中にあふれた。
彼らにとって、結婚や持ち家、自家用車は夢のまた夢となり、たとえ結婚できても、子供が作れない、幸いにして子供ができても、余計に生活を圧迫される結果になり、貧困の固定化が起こりだしたのである。
デフレはスパイラルして、その出口を見出すことができず、政府の景気テコ入れも功を奏さないまま、大震災が日本を襲い、その後も各地を風水害などが襲った。

最低限の人間らしい暮らし…
つつましいけれど幸せな暮らし…
すべてが困難になり、歳を重ねるごとに親の介護がのしかかってきたりして、身動きが取れなくなっていく。
生活保護を受けようにも、審査や義務が重すぎて受けられない事態が頻出する。
予算は限られているから、公平性を期するためにある程度厳しくするのは行政として仕方のないことだった。
セーフティネットとは名ばかりの、絵に描いた餅。
貧困世帯にはそのように映ったし、「自己責任」という小泉時代の言葉が重くのしかかった。
「貧乏なのは自己責任」だと。

ネット社会はそういう人たちに、一抹の希望を与える「のぞき窓」だった。
一人パソコンを開いて、慰めのサイトを探す。
それはスマホ時代を迎えて、SNSが発達するにつれて、苦しみを、別な差別意識に変えることで心の平安を得ようとする人々が増えた。
「私たちが、良い仕事につけないのは在日朝鮮人のせいだ」
「彼らが、われわれの仕事や生活を奪って、彼らは生活保護を受けてのうのうと良い暮らしをしている」
そんなデマがまことしやかにささやかれ、大きなうねりになっていく。
保守、リベラル、右翼を巻き込んで、一つの思想を形成するまでになってしまった。
丁度、アメリカでオバマ政権が終焉を迎え、激しい選挙戦を勝ち取ったのは超保守的なトランプだった。
トランプ氏が選挙を勝利したのは、SNSを使った「移民に権利を奪われた白人中間層」への煽りだった。
彼の執拗な移民排斥は、人権を蹂躙するもので国際世論も鼻白んだ。

日本でも同じ理論で「在日外国人に権利を奪われ貧困に陥っている可哀そうな日本人」という図式で、「在特会」が興った。
そのヘイトスピーチは在日朝鮮人に執拗に向けられ、処罰対象になるくらいだった。
日本政府は、国際世論にかんがみて、ヘイトスピーチを放置することもできず、禁止法案を促成で作り上げ罰則を設けて、運用している。

しかし「在特会」の矛先は沖縄の基地反対運動に向けられることになる。
反中国をよりどころに、沖縄が中国に脅かされてよいのか?と問いかけ、米軍基地を廃止し、日米安保を反故にすれば、まっさきに沖縄が中国に併呑されるぞと脅すのである。
この論調は、すでに安倍政権に近い「日本会議」で叫ばれている内容と違(たが)わず、「在特会」は政権とともにあるかのごとく「正論」をヘイトスピーチに混ぜ込んで沖縄に乱入したのだった。

「沖縄県民=国賊」とまで決めつけ、沖縄の新聞社を反日新聞とこき下ろし、本土の大手新聞社「産経新聞」までもが、それに乗っかって、沖縄の新聞社を貶めた。

「在特会」を支える人々が、そういった「うしなわれた時代」に貧困層に落とされた普通の人々だったことは無関係ではない。
「自己責任」とまで言われ、貧困から立ち直れない、機会さえ与えられない自分たちの「立つ瀬」を、「在特会」に求めたのだった。
自分より弱い立場の人を作り上げ、それを腹いせに攻撃しているだけで、それで自分の生活が向上するわけでもないのは明白である。
しかし、彼らは「在特会」や「ネトウヨ」にしか情報源を持たず、自ら知る権利を放棄する「反知性主義者」でもあるのだった。
デマに踊らされ、真実を見極めず、人の意見に耳を傾けない。
もとより低学歴ということも、学ぶ力、考える力を削いでいるのかもしれなかった。

在日外国人に「出ていけ」と平気でいう人々には、今の日本が「左傾化」していると映るらしい。
私からしたら「意外な」捉え方だった。
私は安倍政権などは右傾化しているとおもっているし、事実、改憲内容もそうなっているとしか思えない。
しかし、ヘイトスピーカーには「人権を大切に」「差別はいけない」「外国人にも優しく」という思想が「左翼」だと受け取られるらしい。
学校でも人権教育が行われているけれど、それ自体が、外国人に既得権を与え、日本人の権利を奪っているのだというのだ。
それらはすべて「左翼思想」であり、その急先鋒は「朝日新聞」だともいう。

沖縄に一人の女右翼活動家がいる。
仲村之菊さんだ。
彼女は野村秋介を敬う「民族派右翼」だ。
彼女は訴える「アメリカに追従して基地を沖縄に置いていること自体が、日本の心を踏みにじらせている」と。
だから「沖縄に基地はいらない」と左翼思想家と結論が同じになるのだけれど気にしていない。
むしろ民族派右翼こそ美しい日本を守ってきた思想だと自信をもって言う。
日本は日本だけで独立し、軍隊を持ち、強い立場を固めるのだ。
アメリカの協力も助けもいらないのだと。

確かに、ヘイトスピーカーも「強い日本」を主張する。
だから安倍政権に近しいともとれるのだけれど、仲村さんほど自分でものを考えているとは思えない。

白井聡が『国体論』で述べているが、戦後、日本はマッカーサーに国体を護持してもらったと思い込むことで、天皇を頂いたまま民主主義国家になってこれまで来ることができたと。
マッカーサー占領時代、米兵の日本の婦女子への暴行、強姦が絶えなかった。
従軍慰安婦どころの騒ぎではないほど、アメリカ兵に日本の少女たちが辱められた。
まだ幼い小学生までが強姦されて殺されたのである。
それをマッカーサーは日本の新聞社に報道規制を敷いて、表ざたにさせなかった。
ここ宇治市大久保町でも小学生の女の子が陰部を切り裂かれて殺されたのである。

こんなアメリカを許せるか?
なんで負けたからと言って辱めを受けなければならないのだ?
「永久敗戦論」のままずっとアメリカの犬であらねばならないのか?

左翼の私でさえ、アメリカ追従の、日米安保にすがる日本政府の態度は容認できない。

私はアメリカ人を嫌わないけれど、安保体制を嫌っている。
このどうにもならない条約を早く破棄したい。
何においても、アメリカと日本は対等だと言いたい。

変われ、日本!