幸子が、幼い美羽(みう)を残してクモ膜下出血で逝ってしまって二年近くになる。
美羽を産んでから体調がすぐれなかった。
育休していた市立博物館の勤めも、結局そのまま退職してしまった矢先だった。
家のトイレでぐったりしているのを見つけ、おれが救急車を呼んだけれど、手遅れだった。
病院で死亡が確認された。
おれは、絶望の淵に立たされた。

乳飲み子を抱えて、男の育児生活が待っていた。
近所の奥さんが、いろいろ教えてくれたが、頼るわけにはいかない。
幸子の母親が、遠方からやってきてくれた。
しかし、義母さんも中学校の先生をやっているので、そう休めない。
幸子は母子家庭に育った。
彼女の父親も、同じ病で若くで亡くなっていると、結婚する前に聞いた。
幸子の担当医の話では、クモ膜下出血は、遺伝的なものも否定できないと言った。
脳血管に奇形があることがこの病気のよくある原因なんだそうだ。

おれは「父親教室」にも通い、育児の勉強をした。
お乳は、かわいそうだが、粉ミルクで育てるしかなかった。
「西松屋」が近くにあって、ほんとうによかったと思う。
ネットでわからないことも調べられるし、なによりおれの勤め先の社長が応援してくれた。
「子育てが、お前の仕事だ。会社のことはほかの社員がうまくやる。気にすんな」
と、涙が出ることを言ってくれた。
同僚や先輩も、同じ気持ちだった。
まあ、おれ一人が欠けて、どうなるというような重要なポストでもなかったし。

周りに甘えながら、おれなりに美羽に向き合えた。
美羽は天使のようだ。
幸子の遺した天使だ。
夜中に起こされても、おむつを替えて、すやすや眠る顔を見れば、おれは元気になる。

今年の夏も、美羽を連れて幸子のふるさと、滋賀の彦根に還る。
義母さんに美羽の成長を見せるのだ。
おれの両親には、新年に見せたが、孫の顔をみながら、母親は「再婚したらどうや?」と臆面もなく聞くのだ。
「あほな、こぶつきでだれが来てくれるかいな」
「お母ちゃんは、店があるから面倒みられんし、あんたのことを心配して言うてんねんがな」
実家は大阪の泉大津市で足の不自由な父とお好み焼き屋をやっている。
そんなことより、おれの幸子への愛は失せていなかった。
再婚なんてとんでもない話だった。

そんなことを思い出しながら、おれは助手席のチャイルドシートに美羽を乗せて、名神高速道路を走っていた。
彦根に向けて…

(つづく)