吉田鋼太郎の『シラノ・ド・ベルジュラック』(日生劇場)をEテレで観た。

ロスタンの名作戯曲で、わが国でも何度も上演されているのでご存知の方も多かろう。
日本では『白野弁十郎』として、日本の武家社会を舞台にした翻案作品も有名だ。

シラノ(吉田鋼太郎)は、鼻が異様に大きい(長い)壮年の男として描かれ、人々にその風貌と性格の頑迷さから馬鹿にされている。
しかし、剣術にすぐれ、シラノが所属する「ガスコン青年隊」ではもっともすぐれた剣士、師範として腕を振るい、部下に慕われていた。
シラノは曲がったことが嫌いで、聡明で、作詩にたけているため、修辞法にこだわる。
武人たるもの、文武両道に勤(いそ)しまねばならないという生き方をしてきたが、生来の実直な性格から、世の中の不正に真っ向から反発し、敵をたくさん作ってきた。
とはいえ、並々ならぬ剣豪のため、だれもシラノを押さえつけることはできなかった。
修辞法にこだわるあまり、みごとな口上が見どころでもある。

才女で美貌の持ち主のロクサーヌ(黒木瞳)は、男の羨望のまなざしをほしいままにしていた。
そのロクサーヌこそ、シラノの従妹であり、幼き頃よりロクサーヌの兄代わりとしてシラノが面倒をみていた。
そして例にもれずシラノもこの美しい従妹に密かな恋心を抱いてきたのだった。
しかし、醜い鼻を持つシラノがロクサーヌに好かれるはずがない…シラノは勝手にそう思い込んで、熱い恋心を胸に秘めたままにしていた。
シラノの詩情は、ロクサーヌも理解し、彼女は「兄」としてシラノを敬愛していた。
シラノの鼻は世間では揶揄の対象だったが、ロクサーヌはそんなことを露ほども馬鹿にしていなかったのに、シラノがコンプレックスを勝手に抱いて、そのせいでロクサーヌと距離を置いていた。
このもどかしい恋心が、このお芝居の最初から最後まで、退屈させずに観る者を惹きつけている。

ロクサーヌからある日、シラノに直々の相談が持ちかけられる。
シラノは「もしかして、自分に恋の告白か?」と色めき立つが、実は、「思いの人がいる。それはガスコン青年隊に今度入隊する若者だ」と告げるのだ。
シラノは落胆するが、ロクサーヌは意に介せず、シラノに新入りのクリスチャン(大野拓朗)が隊でいじめられたり、危ない目にあわないように見張るよう頼むのだった。
入隊してきたクリスチャンが、なるほど美男子だが、おつむの軽い様子が、シラノの気に食わない。
「こんな優男(やさおとこ)のどこがいい…」
「ロクサーヌは、私の影響を受けているから詩情豊かで語彙の豊富な愛の表現を好むのに、この男ときたら「好きだ、大好きだ」の一点張りだ」
シラノはクリスチャンのぼろが出ないように、手紙を代筆する。
その手紙は、シラノのロクサーヌに対する思いのたけをしたためた。
シラノはクリスチャンの美形に自分の人格を潜ませて、「二人で一人」をロクサーヌの前で演じることになるのだった。
ロクサーヌは自身の一目ぼれに加えて、くすぐるような美辞麗句で飾った手紙を受け取り、それがクリスチャンの手になるものと信じ、夢見心地で恋心を募らせる。
シラノは興に乗って、ますます熱い愛の言葉を代筆していった…
シラノはクリスチャンをしてロクサーヌとの疑似恋愛に耽溺していったのであるが、その戯れもつかのま、ロクサーヌがクリスチャンを自宅に呼びつけて「会いたい」とせがむのだった。
会えば、「でくの坊」たるクリスチャンの素性がバレバレである。
これまでのシラノの苦労が水泡に帰すことになりかねない。
案の定、クリスチャンはロクサーヌの前で、気の利いた会話もできず「好きだ、大好きだ」を繰り返し、ロクサーヌを失望させる。
恋が潰えたかに見えたクリスチャンは、シラノに泣きつく。
「よし、この月夜の晩を利用して、バルコンに彼女を呼び出せ。おれが言うとおりに闇から話しかけるのだ」
プロンプターよろしく、シラノは頼りないクリスチャンに対して一肌ぬぐ決心だった。
ロクサーヌは、クリスチャンの呼ばわりに、再度、バルコンに姿を見せ、見えぬ思い人の声に耳を傾ける。
そしてシラノは、クリスチャンに愛を語らせるのだが…
次第に、シラノは、もどかしいクリスチャンに取って代わって、自身の思いのたけを高らかに叫び始める。
ロクサーヌは、声色が変わったことを不審に思いながらも、クリスチャンの声と信じ、その熱い思いに気を良くして、彼に姿を見せよと呼びかける。
シラノはクリスチャンの背中を押して「さあ、行け。ロクサーヌの唇を奪ってこい」と促すのだった。
かくして、クリスチャンとロクサーヌは熱い口づけを交わすのだった。
こうして、クリスチャンとロクサーヌは夫婦となったが、歴史は安らぎの時間を二人に与えなかった。

おりしもフランスとスペインが交戦状態にあり、シラノらのガスコン青年隊も参戦することになった。
ロクサーヌに横恋慕している甥を持つ、ド・ギッシュ伯爵(六角精児)がガスコン隊を指揮下に置き、甥の敵を討とうと、シラノを含むガスコン隊を窮地に陥らせる。
ド・ギッシュ伯爵の甥は、かつて、ロクサーヌに言い寄って、シラノに手ひどく懲らしめられた経験があり、叔父のド・ギッシュ伯爵に泣きついて、いつかシラノに復讐をと手ぐすねを引いていた。

とうとうガスコン隊は敵に包囲され、兵糧攻めにあう。
そこへ、あろうことかロクサーヌが食料をたくさん持って、差し入れに来たのだった。
もちろん、従兄と夫(クリスチャン)を助けるためだった。
ロクサーヌが彼らの窮地を知ったのは、従兄シラノがクリスチャンを語って、手紙をしきりに送っていたからだった。
シラノは、戦闘中に、危ない敵陣を突破するなどして、身を危険にさらしながら何度も手紙をクリスチャンの名でロクサーヌに差し出していたのだった。
ロクサーヌはここでクリスチャンと果てる覚悟でやってきていた。
しかし、クリスチャンはシラノが危ない目をして何度も、自分の知らない間に手紙を遣っていたことから、シラノのロクサーヌへの愛を知ることになる。
また、クリスチャンはロクサーヌが男の外見で愛するのではなく、魂を愛する人なのだということも知っていた。
ならば、シラノこそがロクサーヌにふさわしい男であり、シラノがその真実を彼女に告白すべきだと迫るのだった。
戦局は芳しくなく、ガスコン隊は犠牲者をずいぶん出していた。
そしてついに、クリスチャンが銃撃戦で重傷を負う。
ロクサーヌは夫を介抱するが、かなわず、クリスチャンは帰らぬ人となってしまった。
ロクサーヌの手には、クリスチャンの血糊が染みた手紙が残された。
熱いロクサーヌへの愛がしたためられ、涙のこぼれた跡があった。

十五年が過ぎた。
ロクサーヌは再婚もせず、修道院で暮らしていた。
未亡人の操を立てていたのだった。
シラノもまた生き残って、従妹の後見人として老いていた。
老いても、血気盛んで、相変わらず敵を作る言動を尽くしていた。
ある秋の日、シラノは暗殺されそうになり、頭に丸太が直撃する。
重傷を負ったシラノは、夕方に気丈にもロクサーヌのいる修道院にたどりつく。
虫の息のシラノはロクサーヌが刺繍をしているベンチのそばにやってきて、思い出などを語る。
日も落ちて、暗くなったころ、ロクサーヌにあの手紙を見せてくれとシラノがせがむ。
クリスチャンの血が染みたあの最期の手紙だ。
シラノは、もうあたりが暗くなって字など見えないはずなのに、その手紙を朗々と読み上げるのだった。
ロクサーヌはそこで気づいた。
その手紙の主がシラノだったことを…
手紙を書いた主であるからこそ、そらで暗がりでも読めるのだった。
ロクサーヌへの愛は、シラノがずっと綴っていたことを。
「この涙の染みは、兄さんのものだったのね」
「しかし、この血はまちがいなくクリスチャンのものだよ」

真実を知ったロクサーヌの前で、シラノは息を引き取るのだった。

吉田鋼太郎のシラノは、型破りですごみがあり、愛嬌もあった。
男の純情を地で行く、だからこそ感動を与える名演だったと思う。
ロクサーヌ役の黒木瞳も申し分なく、タカラヅカ仕込みの演技が光っていた。
アドリブなのか、台本にあるのか知らないが、ところどころにギャグをかますサービスも吉田鋼太郎は欠かさない。
とても良い作品だったと思う。