私の大叔父、巽重吉(たつみじゅうきち)の話をしよう。
彼は、ゆらさんの父だ。
ゆらさんについては、かつてブログに書いた。

重吉は、私の父方の祖父の弟である。
亡くなって四十年以上はなるだろうか。

高安を名乗っていないのは巽家に養子に入ったからだ。
「巽てい」という妙見信仰に篤(あつ)い家柄の長女に入り婿した。
戦争が終わって、命からがら満州から引き揚げてきた大叔父はまだ二十二、三の青年だった。
しかし、彼が満州で経験したことは、人が一生かけても償えないような鬼畜の行いだったらしい。
なまくらな軍刀でシナ人を斬り殺し、女とみれば、少女から老婆まで犯したという噂(うわさ)だった。

幼かった私から見て、重吉は、そんなことをする人には見えない、温厚な人物だった。
夫人には頭が上がらない風で、いつもにこにこ、鼻の詰まったような声であいさつをしてくれた。
私の母の話では大叔父は蓄のう症だったらしい。

夫人の巽ていは、几帳面な人柄で、私たち子どもには厳しい人だった。
私の住んでいた長屋の向かいが巽さんのお屋敷で、はだしで上がろうものなら「足をぞうきんで拭いてから上がりなさい」と咎められたものだ。
巽家は子供が多く、上から和歌山大学に通っていた重治(しげはる)を長男として、寝屋川高校に通っていた次男の武夫(たけお)、長女の由良(ゆら)、三男の和夫(かずお)の四人兄弟だった。
和夫さんとは年も近く、よく虫取りなどをして遊んだ。
自転車の乗り方を教わったのも和夫さんからだった。
ただ、和夫さんは中学に入ったころから、今でいう自閉症を発症して、ほとんど家から出ない生活になってしまった。
だから私は、ゆらさんと遊ぶことが多くなった。
ゆらさんは、高校を卒業すると、親の言いつけに従って、好きでもない人の妻になってしまった。
私は生まれて初めて女が受ける理不尽を知った。
案の定、ゆらさんは先方の家でいじめられ、心を病んで出戻ってきたらしいが、そのときは私も社会人になって家を出ていたので、その後は知らない。

重吉の話だった。
ここからは、私の想像で大叔父になったつもりで書く。

「重吉、お前にええ縁談があんねんけど」
母のしづから、改まって聞かされた。
復員してきて間もなく、家でごろごろしていた俺にとって、その話はまんざらでもないものだった。
巽家は、高安家とは昔から付き合いのある、門真町(現門真市)にある旧家だった。
俺も召集される前に、法事でそこを訪れたことがあり、女ばかりの三姉妹の家だったのを覚えている。
長女のていは、俺より一つか、二つくらい年上で、人形のように品のいい女で、同い年の次女のさよ、二つ下の三女のふみも、いずれも劣らぬ別嬪ぞろいだった。
俺は二つ返事で承知した。
「いいのかい?養子に入るんやで」
母親の方が、驚いて、念を押してきたくらいだった。
「あんなキレイどころに婿入りするんやったら、申し分ないわい。どうせ一遍、死んだ身やさかい」
第一、金に困らないほどの大きな家である。
巽家は代々、星田の妙見信仰の主座として君臨してきたと聞いている。
星田妙見は密教、ことに立川(たちかわ)流と混交したものだということを、俺は後になって知ることになる。
俺は、婿入り話にすぐに応じた。

秋には婚儀が整い、巽家でささやかではあるが、「九曜紋」を紺地に白く染め抜いた幕の下、妙見様の前で重々しく執り行われた。
それまで、ていとは親しく話もしたことがなく、化粧を帯びた婚礼衣装の娘を見た俺は、その可憐さにめまいがしそうだった。
「き、きれいや…」
その声が聞こえたのか、ていはにっこりと笑みを俺に返してくれた。
鉦や太鼓が厳かに、祝いの音曲を奏で、盃が二人の前に運ばれる。
男衆(おとこし)が、俺が捧げる盃に長柄銚子から酒を注ぐ。
酒杯を、ていと交わして、夫婦の契りとするのだった。

婚礼とはいえ、入り婿である。
入り婿は、のんきなものだった。
俺は、仕事にもつかず、義理の父母に「婿殿」とかわいがられた。
つまりは、子作りがおれの仕事だと、義父からそれとなく告げられた。

夜になると、ていと同衾する毎日で、ごちそうをたらふく食った俺は、ていの可憐な女体を心ゆくまで楽しむのだった。
「てい…」
俺は、童貞ではなかった。
満州で、五十ぐらいの女を上官の命令で犯したのが最初だった。
上官らが犯した後で、その女はテーブルの上で無表情でただマグロのように横たわっていた。
陰部からは、おびただしい白濁液が垂れさがり、激しい淫行の様を現わしていた。
「おい、高安、やりたいだろう?遠慮するな、やれ」
「はっ。では」
俺は、そそくさと軍服のズボンを下ろし、勃起をさらし、女の前に出た…
女はとろんとした、あきらめの目で、俺の勃起を見ていた。

そんなことを思い出しながら、ていを舐めまわしていた。
ていは初夜から、俺のやることに抵抗しなかった。
性交を義務のように思っているのだろうか?
しかし回を重ねるごとに、ていが乱れていくのがわかった。
「女なんか、みな、おんなじや」
俺の目にはそう映った。
貞淑そうな女でも、裸に剥けば、同じようによがって、悶えるものだ。
ていの目は、あの五十女の目と一緒だった。
あの女も、最初は嫌がっていたが、俺の突きに声を出してよがっていたではないか。
誰の子かわからん子を孕んで、今頃、どこかで産み育てているに違いない…
俺は、ていを組み敷き、ゆっくり突き上げながらそんなことを考えていた。
「ああん、ああん」
子供が泣くような声をあげて、ていは、よがった。
「ええか?ええのんか?」
「ええわぁ、じゅうきっつぁん!」
ていのあそこは、ぎゅうぎゅうと俺を絞る。
よほど感じているらしい。
俺は豊かに揺れる、ていの乳房を鷲掴みにして、乳首を頬張った。
はむっ…
「やわっ!ああっ!」
のけぞる、てい。
普段は取り澄ましているくせに、こんなに乱れて声を上げるとは。
俺は、優越に浸った。
「どうや。もっとよがれ!」
俺は、ていを裏返し、犬のように犯した。
あの中国女もこうすると、人が変わったように、たけり狂ったからだ。

「うっ、つうっ!だめぇっ!」
ずっぽりと、硬いおのれが、ていの狭い処女地を突き刺している。
薄くちぎれた膜は、亀頭にまとわりついて、泡をかんでいた。
「よう締まるわ」
俺は思わず、口走ってしまう。
女は男の精を絞るために体がそのように反応するのだと、俺はどこかで聞いたことを思い出していた。
一気に突き進んでは、ゆっくり後退する。
それを何度も繰り返す。
ていは、青息吐息で汗の玉を背に浮かせ、それが集まって一筋の流れを作った。
俺はかがんで、手を若妻の前に回し、抱きかかえるようにして乳房をもみしだいた。
女の汗の香が鼻腔をくすぐる。
男とは違う、女の体臭が俺の脳天をしびれさせる。
突然、得も言われぬ射精感が腰を突っ走った。
「ていっ!」
「あ、あなたっ」
男根が一回り大きく膨らんだように感じ、俺はそのまま怒涛の精を放った。
しばらく二人とも死んだように動かなかった。
こんなに消耗する交わりを経験したことがなかった。

初夜から飽かずに、俺たち夫婦は、夜を共にした。
清楚な、ていは、その頃には俺の男根をねぶり、高ぶらせ、自ら上になって自分の胎内に収めるような妖艶な女に変身を遂げていた。

そうしてできた子が重治だった。
日に日に大きさを増し、前にせり出す、ていの腹を見ていると、俺がそうさせたんだという満足感にひたれた。
夜になれば、そのいとおしい膨らんだ腹を撫でて、浅い挿入を懇願した。
「な、ええやろ。ちょっとだけ」
ていは、薄く笑って、股を開いた。
そのカエルのような姿に欲情がわきおこり、猛りをぶちこんで、せっせと腰を動かした。
妊娠していないときよりも熱い肉筒は、より一層、よく締まり、痙攣するような動きを見せた。
さっさと射精すると、俺は満足して、また腹に耳を当ててその体内の生命の声を聴いた。
「わいが、おとうちゃんやで…」

難産の末、ていは玉のような男の子を生んでくれた。
何よりも喜んだのは義父母だった。
義父が俺の名の一字を取って「重治」と命名してくれた。

俺は産後の肥立ちもままならない、ていの体を求めた。
長い禁欲生活が、我慢の限界だった。
緩い産道に、猛る肉茎を差し込むが、あまり痛がらなかった。
それよりも母乳が噴水のように、充血した乳首からまき散らされることに驚かされ、よけいに興奮した。
「おおっ、たまらんわ」
「あなたっ!」
「乳が、顔に」
俺は大量の乳の雨を浴びながら、腰を振り、あっけなく果ててしまった。
抜くと、やや黄色味を帯びた精液が陰裂から漏れ滴った。
母乳の甘ったるい香りが、産褥を覆った。

ほどなく、次の妊娠の兆候が、ていに訪れた。
「あきれた婿殿じゃ」
義父が、冗談めかしてそう言ったのを、俺は赤い顔でうなだれて聴いていた。

(つづく)