この絵本は大人向けだと思います。
深い内容です。

レオ・レオニの代表作でもある『おんがくねずみ ジェラルディン』(谷川俊太郎訳、好学社)
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レオニの作品はどれも良いものが多いのです。
絵本マニアなら、読んでいない人はいないでしょう。
もちろんお子様にも、お勧めできる一冊です。
ぜひ、お父さん、お母さんから読み聞かせてあげてください。

何が深いかというと、「生きていくうえで、芸術は必要か?」という哲学的な問いかけでお話が成立していく仕組みです。
主人公のジェラルディンというねずみが、人間の住まいでとても食べきれないほど大きなチーズの塊をみつけ、隠れ家に運ぼうという筋です。
とても一匹では太刀打ちできないチーズですから仲間を呼びます。
チーズの分け前をあげる約束で。
お腹を空かせたねずみたちは集まって、このチーズの運搬をなしとげ、ジェラルディンから分け前をもらいます。
この「労働の対価」の描写は、ある意味「マルクス主義」を彷彿とさせます。
西洋の絵本には、結構な割合でこのような主義主張が絵本にまで盛り込まれることが多いのです。
絵本ではないけれど、古典的寓話集『イソップ』もそうですね。

ジェラルディンがチーズの塊から、仲間への分け前をかじり取るわけですが、なにやら、チーズの中から像が掘り出される。
ジェラルディンの意志で彫られていくのか、創造主がそうさせるのか、読者にとってはどっちでもいいのですけれど、かつてロダンが言ったように「彼は創造しない。何もかもすでに創造されているからだ。彼のなすことは再現することだ(石の中にすでに作品があり、自分はそれを丁寧に掘り出すだけだ)」という状況でしょうか?
ついに、巨大なチーズで出来た、ネズミの像が彫り出されるのでした。
そのネズミ像は自らのしっぽを笛にして口にしている姿だった。
どうしてこんな像を彫り上げたのかジェラルディンにもわからない。

その彫塑だけでも芸術の寓意として十分なのですが、この像は音楽を奏でる。
ねずみは音を知っているが、音楽を知らない…そういう意味の書き出しで始まっているのは伏線だった。
ジェラルディンは音楽を経験します。
旋律、音程…
音楽が心をいやすことを経験するのです。

仲間たちが、チーズを食べつくし、また飢餓に陥っている。
ジェラルディンにもっとチーズをくれという。
ジェラルディンはこのチーズ像を食い尽くせば、もう音楽とは決別しなければならない…この葛藤。

しかし、ジェラルディンには奇跡が起こる。
像の真似をして自分のしっぽを口に持っていき、吹いてみた。
音は湿り、音楽など奏でられるはずがなかった。
仲間からは失笑される。
でもジェラルディンは信じて吹き続ける。
「鳴った!」
頭に巡る、あの旋律がジェラルディンのしっぽの笛から奏でられたのだ。
もう、チーズの像がなくても私は音楽を手に入れた!

そうして、心豊かになったジェラルディンと仲間はチーズの像を分けあって、食べてしまうのです。
生きていくことと、音楽(芸術)は両立するものであり、「心の糧」としてチーズも音楽も美術も必要なものなのだと教えられます。

チーズは生きる上で必要不可欠なのに、芸術はそうではない。
しかし、人は、芸術を愛してやまない。
そこに明確な答えはないかもしれないが、レオ・レオニはこの絵本で、一つの解答を見せてくれたような気がします。

芸術の秋に、一度、開いてみてほしい絵本です。