来週の京都中央信用金庫(中信)主催の展示会「中信ビジネスフェア2018」に私の会社も出展する。
伏見区のパルスプラザで17・18日の二日間にわたっておこなわれる。
毎年のことなので、「文化祭」程度のノリでしかないが、それでも準備はいろいろあるのだった。

ところで、信用金庫と銀行とは何が違うのだろう。
私たち預金者にとっては、そんなにサービスの差があるようには思えない。
私が司法書士資格のための勉強を予備校に通ってしていたとき「銀行取引」と「信用金庫取引」は異なるものとして「抵当権・根抵当権設定登記の際に気を付けよ」と教わった。

信用金庫は皆さんもご存じのように、信用組合という非営利団体だ。
一方、銀行は株式会社で営利団体ある。
また、信用金庫は信用金庫法で取り締まられ、銀行は銀行法で取り締まられる。

銀行が預金者から集めた資金を、銀行が任意に選んだ会社に融資してかまわないけれど、信用金庫は地元の組合員から出資を募り、その地域の企業にしか融資してはならないと信用金庫法に定められている。
だから信用金庫(組合)は地域限定で存在しているのだった。
キャッシュフローをその信金の地元だけで回すのが、信金の仕事と言える。
ただ預金者に制限はなく、どこの地域の人でも、様々な場所の信金に預金をすることはできる。

信金が組合である特殊性は、ロバート・オウエンというイギリス人実業家が起こした「協同組合運動」にさかのぼると言われる。
オウエンの業績はエンゲルスの著作『空想から科学へ』にも引用されている通りだ。
産業革命でイギリスの社会構造は一変してしまった。
農業は集約され、農業に携わる労働人口は激減し、一方で、急速に発展した機械工業に労働力が流れた。
この構造変化はスムーズに行ったようだが、労働者階級の権利主張も強くなった。
働く側の働きやすさの追求として、工場内に厚生施設、つまり労働者のための生活必需品の共同購買、販売、給金の預金などを「協同組合」にして一定の出資さえすれば、平等の恩恵にあずかれる方式をオウエンが提案して実行したのである。
現在の「農協(漁協)」「信用金庫」「生活協同組合」「職域組合」「民族系組合」などいろいろな共同体に急速に発展、増殖したのだった。
※「民族系組合」には、かつて在日朝鮮人の信用金庫「朝銀信用組合」というものが存在した。なお破綻した「朝鮮銀行」は日韓併合時に韓国統監だった伊藤博文らがつくった日本資本の銀行である。

こういった社会構造は日本にもいち早く導入されるのだが、なんといっても岡田良一郎(二宮尊徳の弟子)のつくった「掛川信用金庫」が嚆矢(こうし)だろう。
相互扶助を趣旨とした、営利を目的としない「信用組合」の土壌は、西洋に範を求めずとも、無尽講(むじんこう)や頼母子講(たのもしこう)という金銭的な相互扶助のしくみがあったからだ。

明治期になって、ドイツに倣った「産業組合法」が制定され、日本にも組合が定着していった。
組合の広まりは、新渡戸稲造と宮沢賢治の功績も大きい。

岡田良一郎が師と仰いだ二宮尊徳(金次郎)は日本の社会主義運動の先駆けとなったと評価される。
彼の「報徳思想」こそ、日本独自のマルクス主義的な思想だ。

西洋の協同組合運動と日本独自の「講」の存在、相互扶助の精神などが相まって数々の組合が、日本社会に馴染んでいったのである。