比較言語学者有馬凡(ありまぼん 1901~1992)が英語の成り立ちにおいて、印欧語族ではなく中国語やタミル語に起源を持つ単語が少なからずあることに興味を抱いたのは京都大学で学んでいたころだったと著書などにはある。
私が、有馬博士の下で事務のお世話などを仰せつかっていたころ、よくお茶の時間に研究の一端をわかりやすく私に話してくださったものだ。
「横山さん、ドイツ語で名前のことをナーメって言うのを知っているでしょう?」
「ええ。学生の頃はドイツ語を少し履修しておりました」
「あれは、英語のネームと綴りが同じです。これは同じ祖先を持つ言語だからです」
「なるほど」
「でも横山さん、日本語の名前という単語もどこかナーメに似ていると思いませんか?」
「そうですね。おっしゃる通りです」
「この日本語の名前という単語はそんなに古いものではないのですよ。古代では名(な)だけでしたが、いつごろからか前がつくようになった」
「前っていうのは、どういう意味なのですか?先生」
「お前とか、御前(ごぜん)と同じように敬称の一種だと考えられていて、それでも名前が使われ出したのは明治に入ってからなんです」
「へぇ」
「けれども私は異論を持っています。敬称の前だというが、名という単語に敬称の必要性がありますでしょうかね?」
「ですよね。私も変だと思います」
「明治に入ってから名前が用いられるようになったというのも唐突ですが、やはり外来語が一気に日本に入ってきたことと無関係ではないでしょう」
「だったら名前はドイツ語由来かもしれませんね」
「ご明察。私もそう思っているのです。ナーメを漢字に当てて名前にしたのだと」
「ほかに面白い言葉のお話はありますか?」
「そうですね、こういうのはどうでしょうか?英語で買うというと?」
「buy(バイ)ですよね」
「じゃあ、買うという漢字の音読みは?」
「バイですね。あ」
「気が付きましたか?中国語と英語には少なからず共通点があります。文法もそうです。文型が主語述語の順になるのは英語も中国語も同じです」
「これって、偶然ではないのですか?」
「まだ、研究の途中ですが、どうやら偶然ではないようですよ。ほかにもholeは穴のことですが、日本語では穴を掘ると言うでしょう?掘るという動詞を連想させる穴が連関した事例です」
「ほんとですかぁ?」
「推論ですがね。私の後輩の清水義典先生がbattle(戦闘)を、日本語の「場取る」と語源が同じだと唱え、学会で物議を醸しました。あれは、少々こじつけなような気がします」
「古来、戦闘は領地争いだったからですかね」
「清水君はそう言うてましたね。彼はほかにもbodyが梵語の菩提が語源であるとかユニークな視点を持っている」
「信じちゃいますよ。私」
「学問というものは、そういうものなんですよ。推論を立てて、批判にさらされなければ発展しないんです。何事も批判を恐れてはいけないのです」
「わかりました」
そんなやりとりがあったことを、思い出した。
有馬博士の説は、清水先生の説とともに、学会では顧みられず、今や、まったくの戯言であるとされているのが、私としては非常に残念でならない。