本日付け毎日新聞朝刊に「jiko sekinin」と題して各国の駐日ジャーナリストの「安田純平解放事件」について意見を比較掲載していたので、触れておきたい。

私も、日本人のネットの反応にいささか不機嫌になっていたからだ。
フランス、ルモンド紙の駐日特派フィリップ・メスメール氏が「内向きナショナリズム」だと指摘し、私も同意する。
このどうしようもない「安全な場所から勝手なことを言う日本人」について、私はかねてより嫌悪感を抱いていた。
日本人がそうなってしまったのは、いつごろからだろうか?
紛争地域などとは無縁の東の端で、ただひたすら自国のために稼いで平和を謳歌している。
「それのどこが悪い?」とネット国粋主義者たちは言うのである。
誰かを犠牲にして平和を謳歌しても、それはただ極東の島国ゆえの奇貨であるにすぎず、周辺国にのみ牙を剥いておればよいという浅はかな国防力を見せているのは「虎の威を借る狐」にすぎない。
狭い島の中で、のほほんと暮らし、不平不満を弱者に向けて、恥ずかしくないのか?
外国人が日本に訪れ、美しく礼儀正しい日本をほめそやしてくれて、ご満悦なまま英語もしゃべれず、外国から取り残されている「ガラパゴス日本」はどうみても「死に体」だ。
過去の人材の業績でノーベル賞に輝くも、将来は暗い。

メスメール氏は「フランスにも自己責任という言葉あるが、それを使うときは明らかに悪いことをした時に使うのであって、今回のような場面では使わない」と言っている。
また「日本社会は和を乱す人を嫌うため、社会の規則に抗う人を好まない」から、今回の「安田氏バッシング」が起きたのだという。
安田氏が危険極まりないシリアに行ったこと自体が批判されていることに、メスメール氏は驚きを隠せない。
政府が危険地域(シリア)に指定し、避難勧告を出しているのに敢えて行くことは罪悪なんだということが、不思議だという。
フランスでもかつてジャーナリストがイスラム国に拘束され、解放されたときは大統領みずから出迎え、彼らの帰国を喜んだそうだ。
「命がけで正確な情報を届ける」という自国ジャーナリストを誇りに思うということなのだ。
まるで日本では反対に受け止められることが、世界のスタンダードなのだという好例だろう。

英紙「タイムズ」の東京支局長リチャード・ロイド・パリー氏もこれまで多くの英国人ジャーナリストが過激派組織に拘束された事例を挙げ、「彼らを批判するという発想はなかった」という。
解放されたジャーナリストを、国を挙げて彼らの帰国を祝ったという。
安田氏は被害者なのであって、決して非難されるべきではないのだと、パリー氏は強く主張する。
「日本は地理的に離れているが中東の紛争と無関係ではない。石油を依存し、中東情勢に影響を受けている。外国メディア任せではなく自国のジャーナリストによる報道が重要なのだ」と安田氏の立場を擁護する。

このように、日本人は遠くの世界で起こっている事件が、まったく自国に関係ないものであるかのように考え、日々生活を送っているのは、はなはだ自分勝手にすぎないか?
たしかに、じゃあ世界各国に、ほぼ政治に無関心に生きている人々もたくさんいるではないかという言い訳が聞こえてきそうだが、それならあなたがたも勝手な批判をネットを使って匿名で発言しないでほしい。
静かに生きて、死んで行ってくれたらいい。
マスターベーションにネットを使うなんて卑怯じゃないか?

ダルビッシュ有が「人の行いは、みな自己責任」だと言った。
どんなことでも、自分のすることに自己責任がついてまわるのは自明のことなのだ。
それを批判することはおかしい。
自己責任論者は、安田氏が自己責任をはたせず、日本政府の力を借りることになって助け出されたことを批判しているのだが、そもそも日本政府が外国で命の危険にさらされている日本人を救う義務があり、それを批判することはできないはずだ。
それがなければ、日本人は安心して外国に旅をすることができない。
たとえその日本人が助けを求めていなくても、おせっかいをやくのが日本政府の仕事なのだ。

「国に迷惑」という発想は日本だけだと、疑問を呈するのが朝鮮日報東京支局長の李河遠氏だ。
韓国でも人質事件は多く発生している。
アフガンに向かった韓国人のキリスト教団体がタリバンに拘束され二人が殺害され残りの二十一人が解放された苦い経験がある。
この国は日本に似ていて、当時、同じように「自己責任論」が世論を席巻したという。
ただ「国に迷惑をかけた」という発想はなかったという。
「村八分」という日本特有の文化を例に出して、安田氏批判はそういうものに通底した感情なのではないかと論じている。
またダルビッシュ有や本田圭佑などのスポーツマンが政治に意見することは韓国にはないといい、こういう実名で意見を言う有名人があるというのは日本の救いかもしれないとも言う。
私が思うのは、ダルや本田が外国で活躍し、広い視野を持っていることが大きな理由かもしれない。
日本人は、そういう視野に欠ける国民であり、自国でなんでも完結してしまう悪しき「反グローバリズム」精神が「村八分」につながっていると私は思う。

メスメール氏の「内向きナショナリズム」もそうだし、李氏の言う「村八分」もそうだ。

日本の保守層は「国に迷惑をかける」ことを嫌い、そういうことを敢えてする人を「非国民」と非難するのだ。
「これでいいのか?日本人」である。