京都新聞電子版に「耳塚」の話が出ていた。
太閤秀吉が企てた朝鮮出兵で、日本の武将たちが手柄を争った証拠品として朝鮮人の耳や鼻を削いで塩漬けにして日本に持ち帰り供養した場所を「耳塚」というのであちこちにあるらしい。
捕虜となった朝鮮人は老若男女を問わず、赤子まで耳や鼻を削いだという凄惨な記録が残っている。
なんでも熊本城主となった加藤清正がひどかったそうだ。
だから韓国人は今も太閤や清正が大嫌いだそうだ。

そんな昔のことを言われても、現代のわれわれ日本人は困惑するばかりだ。
私の祖先も朝鮮半島から焼き物の技術を伝えるために慶長の役で連れてこられた人だったらしいが、もしかして耳を削がれていたかもしれない。

ただ、なぜ京都新聞はこの日韓関係の微妙な時にわざわざ「耳塚」の記事を世に問うたのか?
時代は異なるが「朝鮮人徴用工」の補償問題が「個人の請求権は消滅していない」ことを根拠に韓国最高裁が日本企業に補償を請求しうるという判決を出し、三権分立にもかかわらず大統領までもが司法を擁護する態度をとり、政治的に1965年に解決済みの戦時下補償問題を蒸し返すことになった。
この時期に、どうして「耳塚」なのか?
日本人なら、その過去の忌まわしい事件をもって「日本はひどい」と言われるような気がしてもやもやした感情が興るだろう。
大昔の、その事件を現代によみがえらせて、そのことをもって日本を貶められるのはやりきれない。
確かに歴史に学ぶべきことは多い。
学術的に「耳塚」や「朝鮮出兵」を研究することをするなとは言わないが、このややこしいときに敢えて耳目を集める記事にすることが、変にタイムリーすぎてなにやら反日的な意図を感じる。
それも日本の新聞社がするのは、いささか不穏当な気もしないでもない。
日本の新聞だから「右に倣え」はすべきでないが、世論の空気を読むことも大切だ。

立場を変えて、私なりにいろいろ考えてみた。
すると十数年前に私はある中国人女性で艾眠雀(アイ・ミンジャク)という留学生と仕事をする機会があったことを思い出した。
艾(アイ)さんは、重慶市出身で私と同じくらいか少し若かったと思う。
清華大学の理学院化学系(理学部化学科)を出て日本に来て、大阪大学でたんぱく質の結晶解析を研究していた。
ある日彼女は覚えたての日本語で「私には日本人の血がながれているんです」というではないか。
私は、彼女のご両親のいずれかが日本人なのだろうと簡単に考えていた。
「私のお母さんのお母さんは、南京で日本の兵隊さんに強姦されて妊娠し、それで生まれたのが私のお母さんでした」
私は少なからずショックを受けた。
どこのだれかわからない男に凌辱された女性が妊娠し、堕胎することも許されず人知れず出産した。
目の前の利発そうな中国人女性がその血を引く人なのだという。

南京での日本軍の虐殺・強姦・掠奪はそのころ「ねつ造だ」「中国は被害を水増ししている」と日本の識者もこぞって弁駁していたものだ。
本多勝一は、それでも日本の軍人が非道を中国人民に対して行ったことを重く受け止め、日本は真摯に反省すべきだと説き、日本の保守論客からバッシングを受けたのは記憶に新しい。
私は、本多のルポを読んだが、非常に綿密に取材されていて、ある程度客観性もあると感じていた。
保守論客のほうが「臭い物に蓋をする」ような言い訳をしていたように思えた。
思想の左右を越えて、やはり被害者はされた乱暴を忘れはしない。

ふり返って朝鮮人の徴用工に目を転じてみよう。
もし私やあなたが、日本人に無理やり日本に連れてこられ、厳しい労働環境下で休まず働かされ、おまけに賃金は約束通り支払われずに終戦を迎えてうやむやにされたとしたら?
私なら、補償を請求するのは当然の権利だと主張するだろうし、日韓の国家間で戦時補償問題を解決したとしても、韓国政府に渡った日本からの補償金で自分たちを補償してもらおうと請求するはずだ。
徴用工の人たちもそうだったのだろう。
しかし一向に韓国政府から補償されず、やむなく「個人の請求権は消滅していない」という奇貨を根拠として法廷に持ち込むのは理解できるのである。
かれらに私たち日本人は「泣き寝入りをしろ」「老い先短いのだから、事を荒立てるな」と言えるか?
「恨(ハン)の文化」という朝鮮半島特有のものがあることを日本人も承知している。
それがために朝鮮人や韓国人は「根に持つ民族」「約束を守らずに蒸し返す民族」だと日本人は唾棄してきた。
いつまでも両国が理解できず平行線なまま今日まで関係を保ってきたのは、ひとえにこのような認知に起因するものだろう。
隣人として非常に親近感を持つ反面、永遠に分かり合えない溝もあるのだった。

こうやって立場を自分と入れ替えることによって、多少は彼らの痛みもわかってやることができるのだろう。
ただ、今の日本人にはそのような余裕がなくなっているようだ。
もはや韓国とは「絶交すべき」とまで論調は急騰している。
止むえない点もある。
これまでも韓国とは日本はうまくやってきたとは到底思えない。
李承晩のころからぎくしゃくしていた。
日本が戦争に負けて、朝鮮は支配国が日本からアメリカとソ連に別れてしまった。
思えば独立を勝ち取ることができず、国土を分断されイデオロギーも分断される結末を迎えてしまった。
こうして韓国と北朝鮮が生まれたのだ。
その悲劇に日本が無関係だとは言えまい。
そのことをわかっている日本人がどれだけいるだろうか?
またわかろうという日本人がどれだけいるだろうか?

「徴用工補償裁判」に日本企業が敗訴したことで、日韓国交が断絶するほうがいいのか?
このまま謝罪ばかり求められる日本に、日本人が嫌気がさして、さらに嫌韓のムードが高まるのだろう。
私も疲れた。
韓国人にわかってもらうことも、私たちがわかったつもりになるのも。
だから「断交」だと言うのはたやすい。
われわれは隣人を選べないという鉄則から、「断交」は賢い選択ではない。
今一度、日本人は韓国人や朝鮮人のことをあきらめずに考えることが必要だ。