写真家林忠彦は大正、昭和の文豪を撮り続けた。

今日の日曜美術館は彼の回顧録だった。
山口県周南市出身の彼は、写真館の息子として生まれ、幼いころから写真機に触れて育った。
忠彦の長男が今も写真館を継いでいるし、四男は写真家として活躍されている。

忠彦の名を知らなくても、彼の写真を見れば「知ってる」という読書家は多いと思う。
太宰治や坂口安吾、川端康成、山本周五郎、谷崎潤一郎のポォトレイトはどこかでお目にかかっているはずだ。
多くは『小説新潮』のグラビアとして撮影されたものだけれど、気難しい作家の一瞬の表情を切り取る手腕は他の追随を許さない。
土門拳らと並び称される写真家である。

私はなかでも織田作之助と太宰治、坂口安吾の写真が好きだ。
織田と太宰は同じバー「ルパン」でそれぞれ別に写されている。
太宰は腰かけを二つ占有してその上に無造作にあぐらをかき、顔は斜めに横柄な態度で前の人物に語り掛けているようだ(そのフレームアウトしている人物こそが坂口安吾だという)。
織田作之助も丸型の腰かけにあぐらをかき、酒が入っているのか崩れた態度でにこやかに映っているが、結核で死ぬ数か月前の姿だそうだ。
一方で、坂口の代表的な写真は、かれが書斎で執筆に奮闘している場面で、反故にされた原稿用紙が散らかり、足の踏み場もない。
しかし安吾は林のレンズを見据えていて、今にも恫喝しそうだ。

私は知らなかったが、川端康成と林忠彦の写真を通した関係だ。
忠彦は康成の写真を撮るのに、二十年以上も付き合って撮りに撮りまくったらしい。
ただ康成は写真に撮られることを好むような人物ではなく、気難しく、また表情も乏しい。
カメラを向けても固くなるばかりで、人間性がにじみ出る隙もない。
忠彦はそれでもあきらめなかった。
仕事だからではない。
康成と忠彦の真剣勝負なのだった。
忠彦はレンズ越しに、康成との距離をそれこそミリ単位で縮める。
とたんに康成は意識して硬化してしまう。
「だめだ」
忠彦は、動物写真家の境地だったのだろう。
岩合光昭が猫の写真を撮るのにする苦労に似たものを、私は林忠彦に感じた。
そして二十年の歳月が流れ、川端の髪も白くなり、林も老いた。
真剣勝負は続いていた。
川端邸の庭で、林忠彦は川端の一瞬の隙を逃さなかった。
康成の目に光が宿ったのだ。
忠彦の指がシャッターを斬った(敢えて「斬る」という漢字を使う)。
真剣勝負の決着がついた瞬間だった。
その川端康成の表情に、かれの足跡が十分ににじみ出ている。
康成の気難しさは繊細さの裏返しだった。
複雑な生い立ちや、決して強くない体、内向的であるがゆえに孤独を愛するかの如く見えるが、じつは熱い情熱を秘めている…

私は一枚の写真に初めて感動した。

写真にはたくさんの情報が込められている。
戦後のどさくさを切り取った一連の忠彦の写真にはそれが貴重な一枚になっている。
忘れ去られようとしている歴史がそこに記録されているのだった。
写真の背景がいかに大事かを知ることができる。

また晩年の彼の風景写真は、単なる風景ではない。
人の付けた足跡を感じさせる重い風景だ。
負の遺産もある、耐え忍んだ記録。墓標の写真。

今と過去をつなぐ、時間の隙間を埋める写真。
林忠彦とはそんな写真家だ。