市原悦子さんと梅原猛さんの訃報が立て続けに入った。
いずれも私が大変な影響を受けた方だ。
市原さんには、『まんが日本昔ばなし』のナレーションで育ててもらった。
先に亡くなった常田富士夫さんとともに、いまごろ天国で再会を喜び合っているだろう。

あの優しいけれど、きっぱりとした語り口は、お話の世界に私たちを引き込んでくれる。
『家政婦は見た』などのサスペンスドラマでも演技が光っていて、市原さんでなければならない役どころがいっぱいあった。
去年亡くなられた樹木希林さんとともに、私の好きな女優さんだった。
共通点として、歳を感じさせないところだろうか?その分、秘められた苦労もあっただろう。
プロとして、夢を売る商売として、そういう影の部分を見せない立派な生きざまだったとファンとして思うのだ。

そして「巨星墜つ」と表現するのがふさわしい梅原猛先生の突然の訃報。
若造の私を「思索」の海に誘(いざな)ってくださった『隠された十字架』や『水底の歌』は今も書棚にある。
『隠された十字架』は、実は父が買ってきて、熱心に読んでいたので、私もそのあとに貸してもらって読んだ。
父は美術品や骨董品を扱う仕事も少しやっていたので、このような本も読んでいたらしい。
ミステリーを読むように、私はこの本にのめりこんだ。
難しい言葉も、自分で調べて頭に溜めていったものだった。
『水底の歌』は歌聖「柿本人麻呂」の論考で、それまで人麻呂が下級官吏として地方を巡回し旅先で落命したと理解されていたが、梅原先生はそこに疑問を投げかけ、彼は刑死したのだと大胆な仮説を述べられた。
通説や常識を「疑うこと」を教えられた一冊である。
柿本人麻呂は万葉集に多くの和歌を残しているが、記紀にはまったく出てこない。
勅撰集である万葉集にあんなに作品が取られているのにである。
しかしつぶさに六国史のひとつ日本書紀と続日本紀を読みこむと、人麻呂の活躍した時代に「柿本猿(さる)」という人名が見られ、また漢詩集『懐風藻』に三輪高市麻呂という人名も見られ、これらが藤原不比等に嫌悪された柿本人麻呂その人だと言うのです。
「さる」と「ひと」は対義語に相当し、「ひと」を蔑んで「さる」と改名させる謀反人への処罰でした。
たとえばこんな記録があります。
奈良時代の大臣和気清麻呂(わけのきよまろ)が弓削道鏡の横暴を称徳女帝に諫言しますが、反対に天皇の怒りを買い「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させて大隅に左遷したという記録です。
おそらく称徳天皇に取り入った道鏡の入れ知恵でしょう。称徳天皇は道鏡にぞっこんでした。彼の「大まら」のせいだと後世の人は言うのですが…

しかし道鏡は流罪に飽き足らず、暗殺を企て清麻呂の後を追い殺害しようとしますが落雷に合って失敗します。
このように蔑称をあえて名乗らせ、恥をかかせるという刑罰があったようです。

とにかく、私を古代史に興味を抱かせてくれた梅原先生でした。
のちに先生の「歎異抄」の解説や、哲学の論説などに触れ、論理的に疑うことの大切さを教えていただきました。

ご冥福をお祈り申し上げます。