同名の作品で竜巻のパニックもののアメリカ映画がありますが、本作はイギリスが2009年に発表したウィンストン・チャーチル首相の第二次世界大戦中の活躍を彼が戦後に回想する形式で映像化したものです。
エミー賞受賞作品で、その際のタイトルは『The Gathering Storm』でした。

『ウィンストン・チャーチル』に続いて「チャーチルもの」を私は観たわけですが、ナチスの台頭、大戦前夜、ダンケルクの撤退、パリ陥落、バトル・オブ・ブリテン、真珠湾とマレー沖海戦、北アフリカ戦線、ノルマンディー上陸作戦、英国議会解散総選挙敗北、終戦、下野…とチャーチルを通じて世界大戦を概観できる佳作でした。

「火中の栗を拾う」気持ちで、指名を受け首相の座に就いたウィンストン・チャーチルは、挙国一致内閣を目指します。
そう、与野党からまんべんなく人選し組閣するのでした。
そこには前首相のネヴィル・チェンバレン、ライバルのハリファックス卿も入閣させています。
また野党の労働党党首クレメント・アトリー伯の名もあった。

ハリファックスも首相の座を狙っていたけれど、ヒトラーからのど元に刃を突き付けられている状況の英国の立場にあって、難局を凌ぐ自信がなかったのか、彼はチャーチルに機会を譲るのです。

英国政府はマジノ線を破られたフランスの危機を救おうと、英国陸軍の大半をフランスに派兵していました。
西進する、破竹の勢いのドイツ機甲師団はベルギー、オランダを併呑してパリになだれ込みます。

チェンバレン前首相やハリファックス卿はドイツに対する宥和政策を議会に提案し、英国の生き延びる道を探ります。
チェンバレンの頭には、イタリアのムッソリーニの仲介案がありました。
そうしてドイツに宥和を差し出し、勢いを増しているソ連共産党に対抗しようという保守党の党是もあったのです。

このころのヨーロッパの勢力図は、ドイツ・ナチが席巻していました。
ヒトラーは、ポーランドから東はオーストリアを同盟下におき、西はフランスを自身の傀儡政権にし、スペインのフランコ政権に親和的につき合い、イタリアと手を結びます。
そして、北アフリカにロンメル将軍率いる戦車部隊を展開して、地中海とスエズ運河を封鎖しようとしていました。

こうなると、イギリスは孤立無援です。
北欧諸国はチェンバレンの失策で、ここもナチの手中にありました。
頼みの友好国アメリカは…
モンロー主義がアメリカ議会を牛耳っていて、ヨーロッパのいざこざに巻き込まれないように、フランクリン・ルーズベルト大統領はチャーチルの度重なる支援要請に消極的な回答をしてきました。

「アメリカさえ協力してくれれば」
チャーチルは、ほぞをかみます。
今は、自国の33万人の陸軍兵がフランスのダンケルクに押しとどめられています。
ダンケルクの南側はすべてドイツ軍に囲まれ、背後はドーバー海峡だ。
兵にとって祖国は目の前だが、ドーバーの急流が敗走を阻む。
兵員を救出する船がないのでした。
「民間の小舟、プレジャーボート、なんでもいいから徴用して救助に当たれ」
アメリカから快い返事をもらえないチャーチルはそう命じます。

ダンケルクの大撤退は、チャーチルに幸運をもたらしました。
ほとんどの英兵を救助することに成功したのです。
英国民の世論はチャーチルの英断を褒めたたえました。
しかしこれによって、ドイツ軍のイギリス空襲は不可避となった。
バトル・オブ・ブリテンの始まりです。
ドイツのハインケルHe-111爆撃機がロンドン上空に迫り、爆弾を落としていきます。
スピットファイアとメッサーシュミットの空戦がそこかしこで勃発し、制空権が一時、ドイツに奪われてしまう。
しかし英空軍はチャーチル首相、英王室への信頼と忠誠から果敢に戦って、メッサーシュミットを駆逐したのでした。

イギリスはこの戦争に、たいへん不利な立場に置かれていました。
島国のイギリスはヨーロッパに近すぎ、そこがすべてナチに埋められると、もはや逃げ場がない。
燃油はスエズ運河を通じてアラビアから運ばれるタンカーが頼りであり、地中海はイタリアなどに抑えられようとしている。
ムッソリーニの和平交渉に応じたいチェンバレンの気持ちもわかります。
しかし、チャーチルは「英国民が敗北するときは最後の国民の一人が息絶える時だ」と国民を鼓舞し、ヒトラーにとことん立ち向かう意思を固めていたのです。

そんなイギリスに風向きが変わりました。
1941年12月8日の日本の真珠湾攻撃の一報でした。
その翌日に、マレー沖でイギリス海軍の戦艦、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスが日本海軍の攻撃機によって撃沈されたという悲報。
航空魚雷攻撃の前には巨艦も無力であることが明らかになり、今後の戦争のやり方を大きく変えることになったのでした。

しかしこれで、アメリカが戦争に参加せざるを得なくなった。
こうして数々の犠牲をはらい、東アジア方面のイギリス勢力を失っても、アメリカの力を借りれることはイギリスにとって大きな幸運でした。
北アフリカ戦線のロンメル戦車軍団に押されていたイギリスのモントゴメリー将軍率いる戦車軍団は、アメリカの武器供与(300両以上のM4シャーマン戦車と航空機)を得て、盛り返し、有利に戦線を戦います。
ドイツも石油欲しさにアラビアを狙っていたのでした。
エル・アラメインの激戦はのちのちまで語り継がれる戦いでした。
イギリスはエル・アラメインを失うと、アラビアの油田地帯はソ連とドイツの挟撃にさらされ、石油を手に入れることがますます困難になります。
エル・アラメインの戦いがヨーロッパ戦線の転換期になったことで、太平洋戦争のミッドウェー作戦と並び称されるのです。

ふたたび、フランスのノルマンディ地方。
米英連合軍は、ノルマンディ半島のどこかに上陸してくるという情報がドイツ軍にも入ります。
しかし、いつ、どこに?
それが皆目わからない。
やみくもに兵を配置するには広大すぎる。
それにドイツのエニグマの暗号は連合軍にどうやら解読されているようでした。
ヒトラーの戦争への興味は薄れ、美術品の掠奪やユダヤ人への迫害に専念するようになるの。
ナチ親衛隊と現場のドイツ軍との思惑の乖離が大きくなりつつあり、ロンメル将軍をはじめ、心あるドイツ将官はヒトラーへの不信感を募らせていました。

そんなヒトラーの仕業にチャーチルは嫌悪感を抱き、早々にこの戦争を終結させ、ヨーロッパに和平を取り戻さねばと不眠不休の仕事に取り掛かっていました。
もともと社会主義や共産主義が嫌いだったチャーチルも、ナチスはもっと嫌いだった。
ナチスの撲滅こそが自分の仕事だと思っていたに相違ない。

ノルマンディー上陸作戦は連合軍の有利に運び、パリは再び自由を取り戻したのです。
ただし『史上最大の作戦』『プライベート・ライアン』の映画でもわかるように、連合軍側の犠牲も大きかったようです。

太平洋戦争では日本軍の劣勢が明らかになり、米軍はヨーロッパ戦線の早期終結に力を注ぎます。
ヤルタ会談ですね。
この会談でイギリス・チャーチル首相とソビエト連邦のスターリンの対立が明らかになります。

一方で、1945年早春、ナチス体制は崩壊し、ヒトラーは逃亡します。

先にムッソリーニ政権が倒れ、イタリアは降伏し、次いでドイツも降伏するのでした。
ルーズベルト大統領は病に倒れ、その年の四月に帰らぬ人となり、後を継いだトルーマン大統領が日本への降伏を迫ることになります。
映画『日本のいちばん長い日』に描かれている通りです。
ドイツ降伏を条件にチャーチルは議会を解散します。
そして総選挙に出馬しますが敗北し、政治生命を絶たれました。
解散前のポツダム会談にはチャーチルが労働党党首のアトリーとともに参加するつもりでしたが、与野党から強い反発を受け、これがもとでチャーチルの保守党が選挙に敗北することになったようです。

さて、ポツダム宣言にある無条件降伏の受諾の意思を明確にしなかった日本政府は、広島と長崎への原爆投下で初めて受諾の意思を表明したのでした。


この映画は、戦後、フランスの避暑地でチャーチル一家がバカンスを楽しみつつ、戦争を回想するという形で物語られていきます。
妻のクレメンティーナが夫を慰め、励ましますが、夫は、これからの生活を心配し、執事に八つ当たりをするような粗暴な男に戻っていました。
妻は夫に、絵を描けとか本を著せとか勧めるのですが…
チャーチルの政治への執着は終わっておらず、1951年の解散総選挙に出馬し、アトリーに辛勝します。
第二次チャーチル政権の復活でした。
国王ジョージ六世の崩御、エリザベス二世の即位、そしてチャーチル首相は「サー」の称号を得ます。
しかし、酒をやめられない高齢の彼はたびたび心臓発作に見舞われつつも大役を務めるのでした。
この間、スターリンが亡くなり、東西冷戦も膠着状態に陥ります。

のちに『第二次世界大戦』なる膨大な書物を表し、先の戦争を振り返る好著として評価されノーベル文学賞に輝くことになるのです。

チャーチルはネルソン提督を尊敬しており、その映画『美女ありき』を観るシーンがこの映画にもありましたね。
そして「本を全て読むことはできないが、目に留まったところだけでもいいから読め。そして、その本がどこにあるかすぐわかるように本棚に戻し、読んでいなくてもその本の場所は覚えておくように」と莫大な蔵書を前に部下や家人に言っていたようです。
なんだか私に言われているようで恐縮します。
そして無類の猫好きだったとか。
彼は動物が好きだったんですよ。馬も所有していたようですし。
ロンドン空襲で動物園が破壊される前に猛獣を殺処分することにチャーチルは猛反対したそうです。

いい映画でしたよ。