映画『イントゥ・ザ・ストーム』とはチャーチル首相の国民への言葉から来ています。
「ともに嵐の中に飛び込もう」
そうして、国威発揚したのでした。
1940年の5月末からのダンケルクの撤退を幸運にも成功させたチャーチルだったけれど、その翌年暮れ、日本の英米への参戦で、イギリスはマレーとシンガポールを日本に奪われます。
英国議会は紛糾します。
「チャーチルは独裁者だ。彼のせいでシンガポールは陥落した」
「軍が腰抜けで、うその報告をしたからだ」
と、チャーチルも負けてはいない。
だからか「議会の論戦では首相は勝ち続けるが、戦争には負け続けだ」とヤジが飛ぶ。
たしかに東アジア方面のイギリス軍にはたるみがあったのかもしれない。
大国の驕りのような、しかし内実はスカスカの軍隊だった。
兵器からみても、イギリス海軍はネルソン提督のころとは雲泥の差で、力が衰えていた。
大艦巨砲主義にすがっており、それは日本軍も同じだったが、航空戦にいちはやく目を付けたアドミラル・ヤマモト、ドイツ空軍(ルフト・バッフェ)のゲーリング元帥に後れを取った英空軍でした。
さらにドイツ海軍はUボート(潜水艦)の活用で、北大西洋の制海権を得ていました。
まさに神出鬼没のUボートは北米とイギリスの通商ラインを破壊したのです。
イギリスと言う島国は、完全に世界から孤立していきます。
イギリス議会が破竹の勢いのナチスになびこうとしても、何ら不思議ではない。
だからこそ、強硬な対独姿勢を誇示するチャーチルにとって、外交からも、内政からも孤立を深めてしまう。
しかしそれでもチャーチルが果敢に、戦いを推し進めたのは、彼の勇敢なラジオからの国民への呼びかけでした。
世論はチャーチルのリーダーシップに惹かれ、鼓舞された。
国王でさえ、最初は、酒飲みで野卑なチャーチルを好ましく思っていなかったけれど、この難局を乗り切れるリーダーはチャーチルしかいないだろうと思い始めるのです。
英空軍は「ホーカー・ハリケーン」と「スーパーマリン・スピットファイア」という名戦闘機を得て、数こそ、メッサーシュミットに劣るが、覇気と精鋭でグレート・ブリテンの空を守ったのです。
また「アブロ・ランカスター」爆撃機でドイツの奥深くまで攻め入ったことも特筆すべき戦績でしょうか。
クレメント・アトリー副首相(労働党党首)は、ドイツへの爆撃は罪なき市民を巻き添えにするとして消極的でしたが、チャーチルは「我々も女子供をドイツに殺されている。戦争は戦争だ」と言って、フランクフルト爆撃などを強行するのでした。
1945年2月のドレスデン爆撃はアブロ・ランカスターが絨毯爆撃を行い、完膚なきまでドイツの大都市を叩いたのです。
失われた市民の命は数えきれなかった。
これより、ナチスは崩壊の一途をだどるのでした。
映画ではチャーチルの独裁的な言動も露にしていますが、英国民にとって、ナチスに伏することは死を意味したと思います。
気高いイギリス人のことですから、ドイツの新興勢力に国土を蹂躙されることは我慢ならなかったでしょう。
まさにプライドを賭けた戦いでした。
「自分たちが、日本やドイツに負けるはずがない」
そう思う心が、チャーチルをして果敢に戦わせたのだと思います。
確かに、チャーチルは軍人上がりであり、家柄はそこそこでしたが、由緒ある貴族たちからは下に見られていたこともあったと思います。
私の手元には河合秀和氏の『チャーチル』(中公文庫)ぐらいしか資料がないですが、彼はなかなか面白い人物ではあります。
英国議会でもヤジのなかに「首相は独裁者だ」というものがありました。
保守党も労働党からもそう思われていた。
なんせ、先の見えない不安ばかりの国政です。
そして戦時下であり、負け戦の情報ばかりだ。
チャーチルが憎きヒトラーに重ねられてしまうのも、わからないではない。
ただ「権力の悪用の仕方を知らなかった」のだと評されます。
チャーチルは、イギリスを守るためにまっすぐだっただけで、用なしになったらいつでも首相の座を降りてやると思っていたに違いない。
「この難局を乗り切れるのは私しかいないだろう」という自信もあった。
自意識過剰な、誇大妄想な面は彼の膨大な著作にも表れているらしい。
彼は家系の歴史を書物にして、英国の歴史を語っている。
それくらい「家」をしょっていたから、家の家、つまり大英帝国の行く末も自身の双肩にかかっているのだと、本気で思っていたのでしょう。
それは「空威張り」でもあり「虚飾」でもあったことは、夫人が一番よく知っていた。
チャーチルが酒におぼれ、体を壊していたのは、実は小心な部分のコンプレックスがあったからだろう。
ノルマンディー上陸作戦が成功裏に終わったころ、早くも終戦後の話し合いが連合国各国で持たれる。
スターリン、ルーズベルトらとの会見からチャーチルはナチス亡き後もまた、共産主義という脅威を感じていた。
戦いは繰り返されるのかもしれない。
はたして、ヒトラーもムッソリーニも、ルーズベルトさえも亡くなり、イギリスではヨーロッパの戦禍が終焉を迎え平和の訪れにわいていた。
極東の日本がまだポツダム宣言を受け入れずに降伏していない状況だったが、早くもチャーチルに議会の解散を迫る声が上がる。
英国民は新しいリーダーを必要としていると。
言い返せば、チャーチルはもう「お払い箱」だと。
総選挙で惨敗したチャーチルは腹心だった労働党のアトリー元副首相に首相の座を譲ることになってしまった。
チャーチルの嫌悪する左派内閣が国民から選ばれたのだった。
「平和な時には、おれは必要ないのだ」とチャーチルはさみしくつぶやくのだった。
そして夫人が、夫人だけが彼に寄り添った。
映画『イントゥ・ザ・ストーム』のラストはチャーチルの次の言葉で終わっている。
「戦争においては決意、敗北においては不屈、勝利においては寛大、平和においては善意」
第二次世界大戦にチャーチルがいなかったら、世界はどうなっていただろう?
その問いかけが「チャーチル映画」の作り手の動機になっているように感じられるのです。
「ともに嵐の中に飛び込もう」
そうして、国威発揚したのでした。
1940年の5月末からのダンケルクの撤退を幸運にも成功させたチャーチルだったけれど、その翌年暮れ、日本の英米への参戦で、イギリスはマレーとシンガポールを日本に奪われます。
英国議会は紛糾します。
「チャーチルは独裁者だ。彼のせいでシンガポールは陥落した」
「軍が腰抜けで、うその報告をしたからだ」
と、チャーチルも負けてはいない。
だからか「議会の論戦では首相は勝ち続けるが、戦争には負け続けだ」とヤジが飛ぶ。
たしかに東アジア方面のイギリス軍にはたるみがあったのかもしれない。
大国の驕りのような、しかし内実はスカスカの軍隊だった。
兵器からみても、イギリス海軍はネルソン提督のころとは雲泥の差で、力が衰えていた。
大艦巨砲主義にすがっており、それは日本軍も同じだったが、航空戦にいちはやく目を付けたアドミラル・ヤマモト、ドイツ空軍(ルフト・バッフェ)のゲーリング元帥に後れを取った英空軍でした。
さらにドイツ海軍はUボート(潜水艦)の活用で、北大西洋の制海権を得ていました。
まさに神出鬼没のUボートは北米とイギリスの通商ラインを破壊したのです。
イギリスと言う島国は、完全に世界から孤立していきます。
イギリス議会が破竹の勢いのナチスになびこうとしても、何ら不思議ではない。
だからこそ、強硬な対独姿勢を誇示するチャーチルにとって、外交からも、内政からも孤立を深めてしまう。
しかしそれでもチャーチルが果敢に、戦いを推し進めたのは、彼の勇敢なラジオからの国民への呼びかけでした。
世論はチャーチルのリーダーシップに惹かれ、鼓舞された。
国王でさえ、最初は、酒飲みで野卑なチャーチルを好ましく思っていなかったけれど、この難局を乗り切れるリーダーはチャーチルしかいないだろうと思い始めるのです。
英空軍は「ホーカー・ハリケーン」と「スーパーマリン・スピットファイア」という名戦闘機を得て、数こそ、メッサーシュミットに劣るが、覇気と精鋭でグレート・ブリテンの空を守ったのです。
また「アブロ・ランカスター」爆撃機でドイツの奥深くまで攻め入ったことも特筆すべき戦績でしょうか。
クレメント・アトリー副首相(労働党党首)は、ドイツへの爆撃は罪なき市民を巻き添えにするとして消極的でしたが、チャーチルは「我々も女子供をドイツに殺されている。戦争は戦争だ」と言って、フランクフルト爆撃などを強行するのでした。
1945年2月のドレスデン爆撃はアブロ・ランカスターが絨毯爆撃を行い、完膚なきまでドイツの大都市を叩いたのです。
失われた市民の命は数えきれなかった。
これより、ナチスは崩壊の一途をだどるのでした。
映画ではチャーチルの独裁的な言動も露にしていますが、英国民にとって、ナチスに伏することは死を意味したと思います。
気高いイギリス人のことですから、ドイツの新興勢力に国土を蹂躙されることは我慢ならなかったでしょう。
まさにプライドを賭けた戦いでした。
「自分たちが、日本やドイツに負けるはずがない」
そう思う心が、チャーチルをして果敢に戦わせたのだと思います。
確かに、チャーチルは軍人上がりであり、家柄はそこそこでしたが、由緒ある貴族たちからは下に見られていたこともあったと思います。
私の手元には河合秀和氏の『チャーチル』(中公文庫)ぐらいしか資料がないですが、彼はなかなか面白い人物ではあります。
英国議会でもヤジのなかに「首相は独裁者だ」というものがありました。
保守党も労働党からもそう思われていた。
なんせ、先の見えない不安ばかりの国政です。
そして戦時下であり、負け戦の情報ばかりだ。
チャーチルが憎きヒトラーに重ねられてしまうのも、わからないではない。
ただ「権力の悪用の仕方を知らなかった」のだと評されます。
チャーチルは、イギリスを守るためにまっすぐだっただけで、用なしになったらいつでも首相の座を降りてやると思っていたに違いない。
「この難局を乗り切れるのは私しかいないだろう」という自信もあった。
自意識過剰な、誇大妄想な面は彼の膨大な著作にも表れているらしい。
彼は家系の歴史を書物にして、英国の歴史を語っている。
それくらい「家」をしょっていたから、家の家、つまり大英帝国の行く末も自身の双肩にかかっているのだと、本気で思っていたのでしょう。
それは「空威張り」でもあり「虚飾」でもあったことは、夫人が一番よく知っていた。
チャーチルが酒におぼれ、体を壊していたのは、実は小心な部分のコンプレックスがあったからだろう。
ノルマンディー上陸作戦が成功裏に終わったころ、早くも終戦後の話し合いが連合国各国で持たれる。
スターリン、ルーズベルトらとの会見からチャーチルはナチス亡き後もまた、共産主義という脅威を感じていた。
戦いは繰り返されるのかもしれない。
はたして、ヒトラーもムッソリーニも、ルーズベルトさえも亡くなり、イギリスではヨーロッパの戦禍が終焉を迎え平和の訪れにわいていた。
極東の日本がまだポツダム宣言を受け入れずに降伏していない状況だったが、早くもチャーチルに議会の解散を迫る声が上がる。
英国民は新しいリーダーを必要としていると。
言い返せば、チャーチルはもう「お払い箱」だと。
総選挙で惨敗したチャーチルは腹心だった労働党のアトリー元副首相に首相の座を譲ることになってしまった。
チャーチルの嫌悪する左派内閣が国民から選ばれたのだった。
「平和な時には、おれは必要ないのだ」とチャーチルはさみしくつぶやくのだった。
そして夫人が、夫人だけが彼に寄り添った。
映画『イントゥ・ザ・ストーム』のラストはチャーチルの次の言葉で終わっている。
「戦争においては決意、敗北においては不屈、勝利においては寛大、平和においては善意」
第二次世界大戦にチャーチルがいなかったら、世界はどうなっていただろう?
その問いかけが「チャーチル映画」の作り手の動機になっているように感じられるのです。