チャーチルが幼少の頃よりホラティウスの詩を暗唱していたことが、映画『イントゥ・ザ・ストーム』でも描かれている。

この一節は、「橋の上のホラティウス」という長い叙事詩にある。
「その時、守備隊長のホラティウスが言った。遅かれ早かれ、人間は死ぬのだ。ならば、強敵に立ち向かって死ぬ方がいい。死んだ祖先や、神々の神殿のために。かつて私をあやしてくれた優しい母のために。わが子を抱き、癒す妻のために…」

この部分をチャーチルが閣僚に披露する場面があった。
戦争に当たるリーダーとして、兵士を戦場に駆り立てるためにこの詩は、役に立つ。
ホラティウスは、国家のために犠牲になる兵士なのだ。
たった一人、敵に対峙し、味方に橋を落とさせる暇(いとま)を稼ぐ。
そして命を投げ出して、橋を落とさせて、敵を撃退した英雄譚がこの叙事詩なのである。

日本の神風特攻隊を語るときにもこの詩の一節が引用されるので、国粋主義者の日本人にもなじみの深い言葉である。
大和魂に通じるからだろうか?

ホラティウスもチャーチルも命を賭するに遅早はないという。
私も、同じ考えだ。
ただ、「強敵に立ち向かって死ぬ方がいい」のかどうかは疑問が残る。
なかなか兵士としては勇ましい、感涙に耐えない言い草だが、一方で、最後まで戦うことを拒んで、非暴力に命を懸けるのも私は素晴らしいことだと思っているからだ。
戦争反対を唱え、非国民と謗られて獄中で拷問死を遂げた左翼思想家だって、私は讃えたい。
挙国一致が必ずしも正しいとは限らない。
むしろ間違っていることのほうが多いだろう。

チャーチルはイギリスにとって、あるいはその後の世界秩序の構築にとって、必要な人材だった。
ただし、新たな冷戦構造をもたらしたことも事実なのだ。

平和とは、常にアンバランスな均衡から成り立っている。
それしかないのだろうか?