二十四節気(にじゅうしせっき)のひとつ、今日は「雨水」です。

そして朝から雨でした。
日ごとに暖かくなるこのころ、雪がそろそろ雨に変わるのだということですね。

昨日の夜は、よい月夜で、今日は「スーパームーン」だとか。
あいにくの雨で見ることはできませんが。

二十四節気は、わりと今の暦に合っているなぁと、私はかねてから思っていたのです。
大寒のときは寒かったし。
それで、今日、手伝っている塾の和多田先生にそのことを訊いてみたら、「二十四節気も太陽暦だからだよ」と教えてくださいました。

二十四節気が太陽暦であるという証拠は「夏至」と「冬至」という太陽の運行の基準点を採用しているからで、太陽暦をもとにした現在のグレゴリオ暦に合致するのは当然のことでした。
夏至と冬至の中点を春分と秋分にするんですね。
ただし、二十四節気が古代中国で考案されたものだから、季節の例示は必ずしも日本には合わない。

「雨水」の今日に、ほんとうに雨が降ったのは単なる偶然なのでしょうか?
熱帯モンスーン気候(ケッペンの気候区分)であれば、今は「乾季」に当たります。
南からの湿った空気が流れ込んだ今回の雨は、異常気象の一例なのかもしれません。
それでも立春からこっち「三寒四温」の言い伝え通りに、暖かくなって、また寒くなってを繰り返しているようでもあります。

過日、直木孝次郎先生がお亡くなりになられたと新聞に出ていました。
私は、直木先生の著書で古代史をずいぶん勉強させていただいた。
中公文庫の「日本の歴史」の第二巻が先生の監修でした。
「古代国家の成立」という副題で書かれていたはずです。

古代の暦について、記紀を読み込むときに十干十二支で書かれているので、理科年表などを当たって学んだものです。
大学の一回生ぐらいの時だったと思います。
それまでは、近代史というか戦記物ばかり読んでいたのに、理系に進んで、ふと日本の古代史に興味を持つようになった。
近畿は、友人とハイキングに行くとよく古墳に出会うのです。
それは上空から見ると美しい「前方後円墳」なのでしょうが、下から見ると、小山でしかなく、濠(ほり)を備えた立派なものはちゃんと柵がしてあって、玉砂利が敷き詰められ、天皇陵参考地として祀られてありました。
そういうものを見るにつけ、「このような巨大な墓を造った人々や時代はどんなものだったのか?」と考えてしまう。
明日香の石舞台の中に入ってみて、黄色い土の底の世界が、すなわち「黄泉の国」のように思え、ロマンをかきたてられたのです。

直木先生や井上光貞先生のご著書に導かれながら、奈良を散策したのを覚えています。
次第に、化学実験の授業が忙しくなり、古代史どころではなくなっていくのですが、やはり、合い間に万葉集やら懐風藻やらをひも解いて古い遠い世界に思いをはせたのでした。

考古学に科学のメスが入りだしたころです。
化学者も考古学に必要とされ始めていました。
今思えば、その方向の進路もあったなと、残念に思うこのごろです。

先生のご冥福をお祈り申し上げます。