子育ては、働くお母さんにとって、大変な問題だ。
都市部ではなかなか保育所に子供を預けられないからだ。
そこで「子連れ出勤」という代案が出されたりする。
どっかの地方議会で、女性議員が乳飲み子を議場に連れて出席し、物議をかもした。
べつに「議会」でなくても、公共の場がすべて子連れでよいわけではない。
かつてアグネス・チャンが同じ問題を芸能界でやらかした。
賛否というより、「否定」する意見が多かったと、そのころ思春期だった私は覚えている。
それでもアグネスは気丈にも「子連れ出勤」を貫いた。

仕事場は、働く大人にとって「真剣勝負の場」である。
そこに自分の子、他人の子がいて、泣き叫んだり、「おむつだ、お乳だ」と大人の手を煩わせることになると、「真剣」もなまってしまう。
みなさんが「子連れ狼」には、なれやしない。

子供の立場に立てばもっとわかりやすい。
子供が母親なり父親といつも一緒にいることは、子供にとって望ましいことだ。
いつもかまってくれる親がいることが、どれだけ子供を安心させるか誰もがうなずくだろう。
しかし、そのために満員電車に詰められ、不自由で窮屈なベビーカーやねんねこ(今は何て言うんだ?)の中で長い時間過ごすことを、子供たちは望んでいるか?
勝手知ったる我が家ではなく、知らない仕事場で子供たちは言いえぬ不安でいっぱいだろう。

やはり、子連れ出勤は考えものである。
受け入れ態勢が仕事場に整ってこそ、完成する子連れ出勤だと思うし、だからといってどの職場にも受け入れ態勢を整えよとは言えない。
企業は、まず、経営を成り立たせてもうけを出す場であり、一部の従業員の福利厚生を厚くすることはなかなかできないのである。
女性の多い職場なら、それもありなのだろうが。
今、社会は男女が共同参画しているとはいいにくい。
男も育児に参与する世の中が普通になれば、企業側も育児に前向きな手当てを企画し、金を出すだろう。
どうしても、女性が育児の中心にある今は、職場にも男性が多い中、企業は積極的に「社内保育所」なり「子連れ出勤」なりに取り組みにくいのだ。

これを言い出すと、何にも解決しないのだけれど、だれかが、非難されるのを覚悟で「子連れ」で出勤して、問題提起をしないと前に進まないのかもしれない。
アグネスのような母親がもっと出てきて、よりよい社会を模索するのも一考なのだ。

私は、かつて専業の農家に遊びに行って、そこのお嫁さんが、生まれたばかりの子を「えじこ」に入れて農作業に連れて行って、畦(あぜ)にえじこを置いて、鍬をふるっていたのを思い出す。
こういうのどかな育児もあったんだなぁ。
まさに子連れ出勤なのだが、第一次産業ゆえのゆるさ、家族で仕事をしている特権でもあったのだ。
お姑さんが、畦に腰かけて、たばこを一服つけながら、孫のめんどうみてくれていたりね。
あの、たばこはさぞかし、うまかろうな。
大空の下で、仕事の後にのむ、たばこ…

なんとも窮屈で、世知辛い世の中になったものだ。