世界中の人に感動を与えた日本のアニメ『この世界の片隅に』をアマゾン・プライムで観ました。
漫画家こうの史代さん原作の同名作品を片渕須直(かたぶちすなお)監督がアニメ化したものです。
原作を忠実に再現し、宮崎駿『となりのトトロ』・高畑勲『火垂るの墓』に並ぶ名作になっています。
特に戦時日本アニメとしては『火垂るの墓』と双璧を成すと言っても言い過ぎではないと思います。

太平洋戦争前から戦中、原爆投下、終戦までの広島・呉(くれ)付近を舞台に、ヒロイン「浦野すず」の半生記として美しい四季の風景とともに描いています。
『はだしのゲン』のように原爆投下の爆心地からではなく、少し離れた「呉」という軍港の町の微妙な距離感が浦野すず(声:のん)のささやかな幸せを醸しています。
すずの家は海苔の栽培と板海苔の製造を家族だけで生業としていました。
遠浅の海は潮が引くと海を歩いてすずの祖父母の家までも行くことができる、豊かな瀬戸内の海。
どこにでもあったであろう女の生き方。少女から大人へ、そして早い結婚…
同級の水原哲(声:小野大輔)は貧しい家で、兄は学費のいらない海軍兵学校に進んだといいます。
哲は課題の写生を描けずに海を眺めているところへすずが出くわす。
すずはことのほか絵が上手で、妹のすみ(声:潘めぐみ)にも絵本を描いてやるくらいだった。
こうの史代さん自身が、すずに投影されているのでしょう。
哲は「海が嫌いだ。白波がウサギに見える」などと言って絵筆をとらない。代わりにすずが彼の代わりに夕日の海に白波のウサギが乱舞する美しい絵を仕上げるのです。
哲はその姿を見て、すずに恋心を抱くのでした。
(この絵は、哲の名前で展覧会に出され、そのことで後ろめたい思いをしたことを、後に再会したとき、哲の口から告白されます)
淡い初恋は実らず、すずは親の言うとおりに十八ぐらいで嫁に行く。
ただその夫となる人は、すずが子供のころ親の使いで呉の街に出たとき人さらいの背負い籠の中で会っていた少年だった。
(この部分は、どこか夢見心地で、この世の話ではないような荒唐無稽さが漂います)
そのことをすずは思い出せないまま、その男性、北條周作(声:細谷佳正)と所帯を持ち、北條家に輿入れするのでした。
周作は呉の海軍軍法会議所(裁判所)の書記官という特殊な軍属であり、兵隊ではありません。
周作の父は軍需工場で「紫電改」に搭載する航空機エンジン「誉」を作っている工員のようです。
周作の母は足が不自由で、床に就いたままですが、すずには優しい姑でした。
そこに周作の姉の黒村径子(声:尾身美詞(おみみのり→キャンディーズの藤村美樹の娘))とその幼い娘、晴美(声:稲葉菜月)が出戻っている。
径子は口さがなく、田舎娘でぼうっとしているすずに厳しく当たります。
それでも晴美はすずに妙に懐くのでした。
周作とすずの間には、なぜか子供に恵まれなかったので、晴美が娘のように慕ってくれることがすずにとって、日増しに暮らしにくくなる世の中のよりどころとなったのです。
戦時下になり、物はすべて配給制になって、家族の多い北條家では食材の調達さえままなりません。
すずは、幸い、貧しい家の出身であったので、野の草を摘み、近所の主婦たちから知恵を借りて、いろんな工夫の料理を考案するのでした。
その合間に、呉港を見下ろせる畑に出ては好きな絵を描くのが息抜きだった。
周作もそのことを咎めず、どうやら北條家はインテリの家のようでした。部屋に大きな書庫があり、かなりの蔵書家であることがうかがえます。
ある日、すずが軍港のスケッチをしているところを憲兵に発見され、間諜の疑いをかけられ、きつく叱責されます。
北條家のみなもその叱責を受け、沈んでいるところに周作が帰宅するのですが、すずにスケッチをするなとは言わず、もっと小さいノートに描けば見つかるまいと言ってノートを渡すのです。
そして北條家のみんなは堰を切ったように笑い転げます。
すずは、わけがわからないまま、「陸軍の憲兵のあほたれ」と笑い飛ばしている北條家の人々を見て、安堵するのでした。
昭和十八年、その翌年春ぐらいまでは、戦時下と言えども、広島の呉では平和な日々が続くのでした。
しかし、サイパン、テニアン、グアム陥落で東條内閣総辞職となったころ、北九州に最初のB-29が飛来し爆撃を行ったのでした。
日本の制海権、制空権は極端に狭まりつつあったのです。
ある日、巡洋艦「青葉」に乗艦の哲がすずをたずねて北條家にやってきたのでした。
旧交を温めるつもりだったのでしょうか?それともすずの気持ちを確かめに来たのでしょうか?
いずれにせよ今生の別れを告げに来たのだと思います。
周作は、内心、おだやかではありませんでしたが、すずの気持ちを察すると、一夜だけすずと哲が過ごすことを許すのです。
私は、ここのシーンが印象に残っています。
どうなんだろう?
二人の間には、危うい雰囲気が漂いますが、最初は親の言いなりの祝言を挙げたとはいえ、もうすずの心は周作にあります。
哲は、それを確かめようと強引に口づけを迫るのですが、すずの本心を察知し離れます。
周作は母屋で、離れの納屋で二人の逢瀬を想像しているのでしょう?
肉の関係も、周作は覚悟していたのかもしれない。
でも、そこはすずが押しとどめた。
早朝、哲は北條家を発ちます。

呉への空襲は激しくなり、もう、毎日といっていいほど空襲警報が鳴ります。
庭に掘った防空壕に逃げるのも日課になってくる。
米軍の基地が日本の領海内にできたことを裏付けるかのように、B-29がじゃんじゃんやってきて、雨のように爆弾を降らせます。
周作の父が市内で爆撃で負傷し、病院に入院してしまいました。
径子とすずと晴美はお見舞いに出かけます。
径子が前夫(時計屋)に父の時計の修理を頼みに行くついででもありました。
すずと晴美は見舞いのあと、軍港の方に軍艦を見に行くのでした。
そのとき空襲警報が鳴った。
共同の防空壕になんとか入れてもらい、空襲をやり過ごす二人でした。
警報が止んだ後外に出ると、もうそこは爆撃で変わり果てていました。
海沿いの道を歩くすずと晴美は、堤防の欠けた部分に出くわします。
そこは爆弾が落ちたのでしょうか漏斗状に土が大きくえぐれていました。
その向こうに「青葉」が爆撃を受けたのでしょうか、停泊のまま着底してしまっていました。
晴美とそれをながめていたとき、「遅延信管(時限信管)かもしれんから離れろ」と兵隊から言われた。
あの漏斗状の穴…不発だ!
気づいたの遅かった。至近で爆発が起こったのです。
すずと晴美は爆発に巻き込まれてしまうのでした。
生死の境をさまよう真っ暗な世界。
すずの右手には、幼い晴美の手が握られていた。

現実の世界に戻されたすずは、北條家の床に就いていた。
あるはずの右手は、失われていました。
そして晴美とともに、永遠に…
娘を失った径子が「すずのせいだ!」と詰め寄ります。
径子の母があとで、「本心で言っているのではないから、気にしないで」とすずをなぐさめます。
径子とすずの間には前よりも深い溝ができてしまいました。

右手首を失ったすずには、もう絵を描くことができません。
左手で書こうとしますが、夢の景色のように歪んでしまう。
そんなとき妹のすみちゃんが見舞いに来てくれます。
すみちゃんは女子挺身隊に参加していてそこの将校さんに恋心を抱いている。
すずもそんな妹をいじらしく思い、応援してやりたくなる。
すみは姉に「辛かったら、実家に戻っておいでよ」とも言ってくれた。
径子がすずにつらく当たるのが、すみにもわかったのだろう。
すずの心は揺れた。
毎日が針の筵だ。
そんな時、アメリカの海軍機の来襲があり、畦を歩くすずを機銃掃射が狙う。
とっさに通りがかった周作が用水路にすずを押し込んでかぶさる。
銃弾は至近をかすめた。
「周作さん、あたし実家に帰ってもいいですか?」
周作は、すずを叱った。
「おれはすずが大事だ。すずといっしょに毎日を送ったことがどんなに楽しかったか」
一度は北條家で家を守ると決心したすずだが、ここにきて、弱気になってしまっていた。
右手を失い、それどころかあの健気な晴美を守り切れなかったことで。
周作も軍属ではなく兵隊にとられることになっていた。
そうなればもう何か月も、いや永遠に会えなくなるだろう。
一度だけ呉に停泊しているのを見た、巨大な戦艦大和も沈められてしまったと聞く。
日本はどうなってしまうのだろう。
ヤミでの砂糖の値段が何百倍にも跳ね上がっている。
日に日に空襲は激しくなり、焼夷弾という油の入った筒が降ってきて木造家屋を火炎に包んだ。
片手で消火活動をし、気丈に振舞うすずに、径子も心をほぐしていった。
すずの妹が姉のために持ってきた綿の着物をモンペにしたたててくれたのは径子だった。
昭和二十年八月六日の朝、径子は「広島の実家に戻るんなら、戻ってもええよ」と言ってモンペをわたしてくれた。
「お姉さん、あたし、ここにおってもええですか?おらしてください」
すずが径子の腕にすがりついた…
そのとき、閃光が走った。広島の方角だった。
「何?あれ」
遅れて地震のような地響きが北條の家をゆさぶった。
慌てて表に出ると、山の向こうに巨大な「かなとこ雲」が見えた。
空襲警報も鳴らなかった。

「どうやら新型の爆弾が広島市内に落とされたみたいだ」
呉に、そういううわさが飛び交った。

数日後、長崎にも同じような爆弾が落とされ、たくさんの死人が出たという。
そして、十五日、皆はラジオの前に集まるように触れが出た。
天皇陛下のお言葉があるというのだ。
北條家のみなは正座してラジオの前に粛々と座ったのです。

「玉音」が始まり、戦争が終わったことを告げられたのでした。
それも「敗戦」という苦渋の選択で。
すずは聞いて、めらめらと怒りが沸き上がるのでした。
「ここにまだ生きてるもんがおる。最後の一人まで戦い続けると言うたやないか!」
私は、玉音放送が戦争終結を告げ、「よかった、よかった」で済んだと浅はかにも思っていた。
そんなはずはないのです。
右手を失い、子供を失い、それでも文句を言わずに辛抱して国が勝利し和平が訪れることを願っていたからこそ生きれたのに、「負けました」で済まされては、この怒りや悲しみをどこへぶつければいい?
もし天皇に戦争責任があるとするならば、なぜにもっと早く英断を下さなかったのか?
なにもかも遅すぎた!

八月十五日に翩翻(へんぽん)と掲げられた「太極旗」が描かれていたのもこのアニメの重要な部分です。
「太極旗」とは大韓民国の国旗です。
すずは泣きながらこぶしを固めます。
「わたしたちは、よその国の食べ物で生かされてきた。だから暴力に屈しなければならないのか」
このセリフも、私には新鮮だった。
賛否はあると思うけれど、「おさんどん」にあけくれたすずの心情としても十分説得力のある言葉だと思った。
戦後の闇市の行列に並ぶ、すずと径子のすがたがあった。
配られるのはアメリカ兵の食べ残しのごった煮だった。
アメリカ兵にガムをねだる子供たち…ウジのわいた親の死骸に寄り添う幼子。

「ざしきわらし」だと信じていた女性は広島市内の遊女になり、そのまま原爆の犠牲になったのだろうか?
すずの父母も原爆の犠牲になり、妹すみも原爆症の症状が出て臥せっている。
すずと周作は戦災孤児の女の子を連れて帰る。どこか晴美に似ていた。
新しい時代へ踏み出す、すずたちだった。

物言わぬ小国民が、戦争に耐え、怯え、生き残ったら、生き残ったでさらなる苦しみを味わう。
こういったことをアニメで表現したことは、世界に普遍的に観てもらうためには大事なことだ。
戦争を知らない世代は確実に増え、それぞれに勝手なことを言うだろう。
戦争を美化する人々も後を絶たない。
暴力には暴力でしか対抗できないと、子供までが言う時代だ。
あの頃、唯々諾々と戦時政策にひれ伏し、反対する者を非国民と蔑んだ。
だから国民自体に戦争責任があるのだという、無責任な平和主義者がいる。
実は私もそう言う考えに同調していた。
すずの生きざまを見て、私は修正すべきだと思うようになった。
やはり、菊池寛らが言ったように、その時の国家を支持することは庶民として当たり前のことであり、そのこと自体を後世の人が非難するのはおかしいと思う。
ただ、反対することもできたはずであり、それはその時代を生きたひとにしかできない。

いまわれわれがすべきことは、第二のすずをつくってはいけないということだ。
戦争反対を自由に叫べる今日、こういったアニメを軸に「戦争責任」を問われない生き方も選択できるのだから。
日本の敗戦を機に、韓国は日本から独立したのです。