上野千鶴子東大名誉教授が東大の入学式で持論を展開した。
ウーマンリブの旗手、いまだ健在というところ、各方面からの物議をかもしている。

しかし、私は、上野氏のスピーチの内容はもっともなことだと思う。
昨今の、医学部の入試での女性差別など、そこかしこに女性だからというだけで貶められているではないか。
それを理不尽と指摘して何が悪かろう。
そんなことよりも、上野氏が東大に入学した新入生に、「あなたがたは、一人で東大入学を勝ち取ったのではない、環境がそうさせてくれたのだということを自覚せよ」また、「その優れた能力を弱き人のために使え」と諭したことに拍手を送りたい。
東大に合格するということはそれなりの家柄でないとほぼ不可能になっていることは、多くの人が肯定するだろう。
開成高校などの東大予備校を経て、はたまた幼少より塾に通い、模試で徹底的に鍛えられて東大の狭き門を突破した彼らは、誰一人として、一人だけで勝ち上がったのではない。
すべて、上野氏のいう「環境」なくしては栄光に輝けなかった。

教育の格差が叫ばれて久しい。
だからといって、その格差は是正されるどころか、もはや生まれた時から固定されている。
東大生の親御さんの年収は950万円以上が6割を超えているという統計もある。
日本の世帯所得で900万円を超える世帯は全世帯の6%に過ぎないのにである。
つまり、「それなりの家柄」でないと東大には合格できず、またその中で女子学生はいまだ2割に満たないらしい。
だから、上野氏は「君たちは選ばれし人」であるから、世のため、人のために、汗を流せと訴えるのだ。
もともと東大は、伊藤博文が官僚養成学校として打ち立てた学校である。
なのに、現在の東大生の大半は官僚を忌避する。官僚に尊敬の念や憧れはない。
そりゃそうだろう。今の国会での官僚の生きざまを見ていれば、安倍政権の「犬」である。
何かあれば「トカゲのしっぽ切り」にされ、詰め腹を切らされる。
苦労して入った賢い東大生が、自分の進路に官僚を選ばないことは自明だ。
伊藤博文もこのような結末になるとは、よもや思うまい。
しかし、先の大戦でも官僚主義がむちゃな作戦を企て、どうにもこうにも立ち行かなくなり、敗戦処理も後手後手になって、国民は未曽有の悲劇を被った。
もちろん、国民にも一定の責任はあった。
官僚主義は国家腐敗の元凶なのだった。ならば、優秀なる東大生が官僚を否定し、自由な場所で活躍するのも喜ばしいことかもしれない。
ただ、日本のかじ取り役がいなくなると、困るのは我々国民である。
ぜひとも、優秀な東大生から、優秀な宰相や公僕が生まれてほしい。
東大を出て、お笑い芸人やタレントになるというのは、私たちから見て、なんとももったいないと思うのだ。
彼らの人生だから、我々が口を挟む問題ではないのだけれど。

一方で、今日、埼玉の夜間中学の入学式があったというニュースも報じられた。
川口市の夜間中学が開校し、初めての生徒を迎えるというのだが、ほぼ、外国人の生徒さんである。
いろんな事情で日本にやってきて、教育を受ける機会がこれまでなかったところ、政府の肝いりで、各都道府県に最低一校は夜間中学を設けよという法律ができたらしい。
それほど、日本で暮らす外国人が多くなった。
国籍は多様だが、アジアや南米が中心の国籍構成だった。
もちろん日本人(旧来の在日外国人も含む)の高齢者で不幸にして中等教育を受けられなかった人々も同じ教室で学ぶ。
教える側の先生が大変だが、生徒の学ぶことへの期待、喜びの前に、いよいよ発奮されるだろう。

私はこの東大と夜間中学の入学式を比較して、学ぶことの大切さと、機会は均等に与えられるべきだという思いも強くした。
とはいえ、教育格差は今後もなくならないだろうし、学歴社会もそのまま残るだろう。
もはや、官僚が東大ブランドでは、たちうちできない今日、もっとほかの大学からの登用も考え、門戸を広く開けるべきだろう。
そして、東大生がエリートであることは認めるが、上野氏が言うように「人にやさしいエリート」になってほしい。
そういう人の痛みがわかる東大生に日本のかじ取りを任せ、我々国民もついていきたいと思うからだ。