河原町の「一品香」で中華を律子と堪能したあと、タクシーを呼んで、岡崎のラブホテルに向かった。
金曜の夜は「待ち」が出るくらい盛況だった。
「どうする?」「待とうよ」「なんだかなぁ」「そこ空いてるから座ってて。あたしフロントに行ってくる」
律子は、てきぱきと慣れたものだった。
そういえば彼女はメンバーズカードも何枚か持っていた。

皆カップルで待合のテーブルに着いている。手前の熱帯魚の水槽のそばのテーブルが空いていた。
紗でパーティションされていて人影は写るけれど、同じ目的の客ばかりであるから恥じる必要はないと律子が言う。

セルフでコーヒーがサービスされ、私たちは人目を気にしながらも、席についてコーヒーをすすった。
「なんだか、薄いコーヒーね。味がしないわ」
「こういうところの無料のコーヒーなんざ、みなそうさ」
手持無沙汰にカップを撫でながら、冷めていくコーヒーを眺めている。
「今日も暑かったからはやくシャワーを浴びたいわ」「そうだね」
半時間もそうしていただろうか、フロントから「三番の札をお持ちのお客様、お次、どうぞ」と呼ばれた。
律子が立ち上がり、プラスチックの札をポケットから出している。そういうシステムだったのか…
「いくわよ」「ああ」
エレベータに乗り、三階で降りる。
すぐ手前の部屋のランプが点滅していた。

「ああ…つかれたぁ」私は、ベッドに倒れ込んだ。
「ふふ、お風呂用意するわね」「ああ」
いつものように、事は運んだ。
こういう施設に私は嫌悪感を抱いていたはずなのに、今は慣れっこになってしまっている。
同じ建物でも部屋によって、メルヘンチックな雰囲気だったり、シックで大人の雰囲気だったりする。
大画面の液晶テレビがあるのはどこも同じで、備え付けの冷蔵庫、電子レンジ、ケータイの充電器、カラオケ、マッサージ器が目についた。
それでも私は、秀子をこういうところに誘いたくなかった。
「ビールでも頼もうよ?」「そうだな」
内線9番でフロントにつなぎ、「生ビール」を二つと、チーズオードブルとピザを頼んだ。
私たちは、夫婦者に見えるだろうか?それとも愛人関係に映るだろうか?
「横、いい?」「うん」
ふろの湯が溜まり、ビールが届く間、私たちはキスと愛撫に没頭した。
「会いたかった…」「ぼくもだ」「うそ。角野さんと会ってたくせに」「そんなことないさ」
いい加減なあしらいをし、どうせ、律子はお見通しなのだから、この会話は気分を盛り上げるセレモニーに過ぎなかった。
チャイムが鳴って、ビールとつまみが届けられた。
「ちっちゃいグラスね」「おまけだから」
そういいつつ、二人で意味のない乾杯を交わした。
「あたしね、こんなの見つけたの」バッグから一冊の手帳を律子が取り出す。
「手帳じゃないか」「そう、あの人の」「2012年?ずいぶん昔だな」
手帳の表紙に金押しの年号が入っていた。
「ほらここのところ」
彼女の開いたページには人の名前があった。
「横山尚子 神戸市中央区三宮町2-1カサヴィエント224」と書いてある。
強い右上がりの文字は飯塚の字に相違ない。
「ほら、ここ」
「2月21日」のところに「なおこBD」と書いてあった。
「これって、この人の誕生日ってことじゃない?」
たしかに「尚子」は「なおこ」と読める。
律子たちが結婚したのは2011年だったはずだから、この横山尚子と飯塚がつき合っていたとしたら、不倫である。
ただ、編集者というものは、作家の誕生日に付け届けをするものかもしれない。この横山という女性が作家だとしたらの話だが。
「でね、この赤いハートマーク。ほぼ毎月あるの」「何の印だろう?」
「たぶん、生理のマークだと思う。ほら矢印で三日とか五日とか期間があるの。私の周期とは違うと思う」
「なんだい?これは飯塚が横山尚子と安全日に逢引きをしていたってわけかい?おどろいたな」
「わたし、許せない」「おいおい、まだ決まったわけじゃないぜ」「たぶん、この女のところにあの人、入り浸っているのよ」「じゃ、警察に情報提供しろよ」「もういいの」
そういうと、泣き出してしまった。