アメリカの肉だったけど、柔らかかったよ。すき焼き。
麦焼酎でハイボールを作って飲んだ。
テレビでは、紅白歌合戦なんかやってて、まるで大晦日じゃないのさ。
「ゆく時代、来る時代」なんてふざけた番組もあるそうだ。
令和の時代を迎えるにあたって、日本がおかしくなっている。
無差別休暇を企てて、サービス業は人手不足でてんてこ舞いだそうだ。
そうなるって予想できたじゃないか。
「働き方改革」が聞いてあきれるぜ。まったく。

五月一日になったら「あけおめ」ってやるわけ?
また年を取っちまうってことかい?

「なおぼん、酒癖悪いんだぁ」「るせぇ」「もう閉店ですぅ」「ここは、おれんちだい」「あ、男になってる」「ちんぽ見せたろか」「見せて、見せて」「ほぉら」

一人芝居で、今日も暮れる。

「三四郎は無言で灯の下を見た。下には死骸が半分ある。汽車は右の肩から乳の下を腰の上まで美事に引き千切って、斜掛(はすかけ)の胴を置き去りにして行ったのである。顔は無創(むきず)である。若い女だ」(『三四郎』夏目漱石)

私は、この『三四郎』の部分を、列車の人身事故のニュースがあるたびに思い出す。

「また遅れるな。ゴールデンウイークが過ぎたら、飛び込み自殺が増えるんだよね」
私は独り言ちた。

漱石が淡々と記述している轢断死体は、おそらく彼が実際に遭遇したのだろう。
実際のところはわからないが…

人は衝動的に死を選ぶことがある。
よくよく考えれば、死ぬほどのことではないのに、当事者は死んでしまいたいと思うのだ。
そこに都合よく列車がやってくる。
今しかない…と悪魔のささやきが聞こえる。
背中を押された人は、幽鬼のように電車の前に吸い込まれるのだった。

鉄道が生まれたころから飛び込み自殺者は後を絶たない。
歴史のある死に方である。
別に歴史と轢死をかけているのではないよ。

残った「すき焼き」は明日の朝に卵でとじて、また楽しむのだった。