新しい天皇が即位された。
令和の始まりである。
昭和から平成になったときと違い、おめでたいムードでいっぱいである。

天皇が皇太子時代から「水」に関心を持たれて、研究してこられ、世界でも著名な専門家ということになっているそうだ。
このことは報道されもし、「なるほどそういうことをなさっているのか」という程度の理解は私もあったが、今一度このテーマを陛下が取り上げられた動機に、上皇陛下とは違った「人への慈しみ」が感じられた。

水と一口に言っても、科学的な物質としての水の研究ではなく、水が人間の営みに不可欠であり、日本では蛇口をひねれば、飲める水がそれこそ当たり前に手に入ることへ陛下は疑問を投げかけたのだった。

世界には、飲み水を得るために多大な苦労を強いられ、毎朝の水くみを幼い子供たちが担い、勉強や遊ぶ時間を取られて健やかに育てない事情が多くある。

若くして英国に留学し、自炊しながら陛下はそういう事実に行き当たるわけだ。
上皇陛下が戦争経験者であり、屈辱と不自由を目の当たりにされたことに対し、今上陛下は私たちと同様に戦争を知らない世代である。
すると世界の悲惨を知るには、そこに出かけるほかない。

水の利用の状況を見ればその国の文化レベルが推し量れるのである。
遠い井戸や水場に水を汲みに行かねば水を得られない地域では、子供の健康状態はもとより、就学もおぼつかなく、識字率も低い。
農業が業として成り立っていないような、自家消費のみの小規模なものでも水は大切である。
利水のために井戸を掘り、水路を割り、田畑に導く技術は言うにたやすいが、かなりの労力と知恵と財力が必要だ。

水を効率的に利用するには、家族単位ではなく、村社会になる必要があるのだ。
社会と水の関りは、実は非常に深く、根源的なものだと捉えられる。
原始の争いは水の取り合いでもあった。
平和維持のために、水の配分を取り決める「法」が生まれる。
それを記述する文字や言葉が発明される。
水は高いところから低いところに流れるという性質を、人はあれこれ考え、ため池や水路、水門に応用し、ついには水運という手段にいきついた。
水そのものを利用することから、大量の水を流体としてとらえ、舟を発明したのだった。

水がいろいろなものを溶かす性質から、化学が生まれた。
日々の生活でも洗濯や炊事に水は欠かせない。
家畜を飼うにも水は不可欠である。
水の物理現象で蒸気機関が発明され、水力発電が発明された。

このように水の恩恵を挙げるときりがないが、そこに天皇陛下が気づかれたことは素晴らしいと思う。
水を通して世界を見るということは、グローバル化に置いて行かれる格差社会を見つめる「拡大鏡」になるわけで、弱者を拾うためにも水が欠かせない。
水がちゃんと利用できない社会では基本的人権は守られないのであるし、それが捨て置かれているような社会に発展はなく、無益な争いしか生じない。

私は、水を通して世界の幸せを考える今上陛下を応援したい。
ことに日本では水がもたらす災害が目も当てられない状況となる。
水が豊富な国では「治水」という知恵を絞らねばならない。
大雨や洪水、地震による津波、高潮への警戒と予防、減災への知恵が、今の日本人に問われている。

どんな素晴らしい最先端の技術も、水をないがしろにしては、絵に描いた餅に過ぎないことを肝に銘じよう。
「水の惑星」が地球の代名詞であるように、私たちは母の羊水の中で育ったことに想いを馳せよう。