茶の花のひそかに咲けり つゆ女の忌 (土方花酔)

この「つゆ女」とは「ホトトギス」派の俳人、渡辺水巴(すいは)の妹である。
彼女もまた兄にならって俳句をものした。
そして、俳人土方花酔(ひじかたかすい)は水巴の友人であり、「つゆ」の思い人であった…

水巴ら兄妹は父親が高名な画家で、裕福な家に生まれた。
しかし、その父、渡辺省亭(しょうてい)は愛人を作って、妻と子を捨てた。
兄妹の母親は、病死してしまい、兄の下でつゆも暮らすのである。
ただ、この兄妹と省亭との交流は続き、金銭的に後ろ盾になってくれた。
正月になると、省亭は子供らの住まいに訪れる。
そこに、水巴の親友、土方も同席することが常だった。
つゆは年下の女中、サトと姉妹のように仲が良く、兄の世話をした。
兄の水巴は、内藤鳴雪の門下で俳句に親しみ、その才能を見出され、自身は「俳句で身を立てる」と決心する。
爾来、水巴が他の職に就くことはなかった。
花酔がいつから、水巴と知己になったのかわからないが、俳句仲間として水巴が命尽きるまで側にいたようである。
花酔の家は乾物を商う商家であり、そこそこ繁盛していたようだ。

父が急死し、兄妹は極貧に陥る。
父はたくさんの借財をしていたらしく、その返済に、父の残した絵画や書籍を売り払って、家屋敷も手放すことになってしまった。

雛一荷 運ばれ去るや雪の門 (つゆ女)

つゆの「お雛様」まで売らねばならなかった零落の、彼女の心中はいかばかりだったろう?

借家暮らしになった二人は、サトにも暇を出さざるを得なかったが、サトはただ置いてもらえるだけでいいからと居てくれることになった。
つゆは献身的に、兄の世話をする。
兄は、もともと金に不自由してこなかったからか、家計に無頓着で、浪費家だった。
俳句仲間に気前よく驕り、家に招いては、句会を開き、高い酒とつゆに肴を用意させた。
酒の入った俳句談義は深夜に及ぶことも多く、つゆがその世話を甲斐甲斐しくおこなった。
サトがいたころはまだよかった。
水巴がついに嫁を取った。相手は琴の師匠だそうだ。
嫁が来たのなら、女中もいらないだろうと、サトは自ら去っていった。
しかし、つゆの仕事は減らなかった。
嫁のお師匠さんは、出ずっぱりで、家にいないことが多い。兄の俳句趣味はますます盛んになり、人の出入りも激しく、応対に追われた。

三十を超え、婚期を逃したつゆは、兄の嫁であり、母親がわりだった。
つゆだって、土方花酔が好きだった。
彼のお店(たな)を継ぐ女将さんとして嫁いでもよかった。しかし、兄を一人、放っていくことは憚られたし、土方もその気がありながら、言い出せない男だった。
土方花酔は、結局、親の勧める女性と結婚し、子供もなしてしまった。

つゆは、ただ兄のために生きた。
兄はそれを知ってか知らずか、つゆに当たり前に甘えた。
家計が苦しく客のために安酒を買ってきたつゆを、水巴は叱りつける。
「こんな安酒を人に出せるか!買いなおしてこい」
まったく理不尽極まりない、兄の所業である。
こんな人物に、いい俳句などできるはずがない…と思うのは凡人なのかもしれない。
水巴は、虚子に認められ、頭角を現してくるのである。
好きこそものの上手なれというべきか。

紫陽花(あじさい)や 白よりいでし浅みどり (水巴)

このように高浜虚子の「客観写生」を忠実に俳句に取り込んだのが水巴その人だった。

つゆは、兄が嫁をもらうまでは、第一位の座にいたのに、一気に女中になり下がってしまう。
その献身を間近で見ていた思い人の花酔は、いたたまれなかった。
なにくれとなく、水巴に内緒でつゆを助けた。
兄は琴の師匠とじきに離縁する。
そしてすぐに門下の若い娘を嫁に据える。
もう、やりたい放題の兄だった。

ついに、つゆが病で倒れる。
転地療養を医者から促され、海浜につゆが居を移す。
兄は、妹のありがたみがわかったろうか?
花酔は、つゆの療養先に笹寿司をもって見舞いに行った。
二人っきりになれたのは、その時だけだったかもしれない。
花酔は、つゆを連れ去りたい衝動にかられたが、彼にも家庭があった。
不倫は許されない。
気弱な花酔は、しかし、つゆの中に、兄、水巴への並々ならぬ愛が見て取れた。
「つゆさんは、お兄さんに尽くすがいい」
そう思って、距離を保ったのである。

互いに壮年に差し掛かった兄妹、つゆは兄に亡父のたたずまいを感じた。
「お兄さんは、お父さまにそっくり」
女へのだらしなさ、浪費家、メンツを気にするところ、なにもかも。
つゆの「皮肉」ともとれる、兄への感想だったが、けっしてそうではない。
つゆは兄を愛していた。
兄こそ、最愛の夫のように思っていた。

つゆは、病に冒され、昭和十六年十月十日に死出の旅に出た。享年五十八だった。
ゆえに、「つゆ忌」とは十月十日である。
花酔は、一人「今日は僕の誕生日だったね、つゆさん」と嗚咽を漏らした。

その年の暮れ、十二月八日に日本はアメリカに宣戦布告した…

兄は終戦直後に亡くなったが、花酔は昭和三十五年まで生きたという。

私は、このつゆ女の生きざまを知って、とてもいたたまれなかった。
女の権利などをかざすつもりはない。
このように家族からも召使いのようにあしらわれた、女たちがいる。
専業主婦やら、ワンオペ育児など比べ物にならないような、虐(しいた)げられ方だ。
それを男たちは「当たり前」と嘯(うそぶ)く。
その恐ろしさが、想像できるか?

つゆの人生はなんだったのだろう?

縫物の 鏝(こて)さますや花の雨 (つゆ女)

糸足らで 買ひに出る夜の粉雪(こゆき)かな (つゆ女)


参考文献『底のぬけた柄杓』(吉屋信子)