偏見というものは、簡単には無くならない。
人間の主観は、その人の経験から形作られるからだ。
その経験も、その人の両親であったり、兄妹や親類関係、友人関係というリアルな人間関係において体験させられるものが主であり、そのほかに接してきたメディアの影響も少なくないだろう。
いや、今日ではSNSやネットニュースが主体のメディアの影響が仮想の経験として人々に親類縁者以上に大きく影響しているかもしれない。

今回の川崎の通り魔事件がきっかけでヤフーニュースをはじめ、各ネットニュースのコメントには「引きこもり=犯罪者」という図式を助長する書き込みが多く見られたらしい。
毎日新聞でもこの件について、「偏見助長」の懸念の記事を三面に大きく取り上げていた。
「8050問題」など、引きこもり者の高齢化が今後進むであろうと言われている。
すでにロスジェネ世代の高齢化が進んでいるからだ。
彼らの中には、社会に適応できず、敗者のまま引きこもって四十代を過ぎている人も多い。
そして「パラサイトシングル」という言葉も生まれ、その語はなにも「引きこもり」を表す言葉ではないが、内包しているという意味で、ほぼ世間ではマイナスイメージで語られる。
「パラサイトシングル」においても「8050問題」は他人事ではない。
いつまでも親のすねをかじっているわけにはいかないからだ。
一部に、親の年金や財産を「一人っ子」が完全に相続して安泰な人もいるだろう。
そういう人を除いて、実は、親が高齢化しその息子や娘が、自分も定職につかず(つけず)、親の介護や親の死亡にともなって、極貧に陥ることは目に見えている。
それが「8050問題」なのだった。

それで川崎事件との関わりは、この犯人がパラサイト者であり、引きこもり者であったことが、実際にパラサイトして引きこもっている人々への偏見を助長しているというわけだ。
「我々は犯罪予備軍ではない」という切なる発言である。

しかし、世の中の人は、そう甘くは見てくれない。
それが「偏見」なのであるが、「偏見」を持たれる生き方が「パラサイト」であり「引きこもり」であるからだ。
人は、ある程度の年齢になれば親から離れ、仕事に就いて独り立ちする。
結婚するかしないかは、最近ではもう、どうでもいいことになっているが、これも未婚者には偏見があるのは確かだ。
結婚したって、子供がいなけりゃ、また偏見にさらされる。
日本は特にその傾向が強い。すなわち「右へ倣え」の社会なのだから。

その「レール」から外れると、もう「だめなやつ」というレッテルを貼られるし、「何して暮らしてるんだ?」と奇異の目で見られるものだ。
そんな人々が犯罪を犯せば「それ見たことか」と攻撃の矢面に立たされる。
そして同種の生き方をしている人々は「犯罪者予備軍」の偏見を上塗りされるものだ。

これは社会の防衛反応なのかもしれない。
ムラ社会では、掟(おきて)にそぐわない人間を阻害して、ムラをまとめて守っていた。
そういう防御反応が偏見をもたらすのだろう。
フィルターともたとえられる。
フィルターを通して、善悪を未然に篩(ふる)い分け、悪を取り除く機能があった。
しかしそのフィルターの目が細かすぎると、善までを取り除いてしまう。
すこし規格外れの善はたくさん世の中にあって、少しの個性の違いを「悪?」としてフィルタリングして除いてしまう。
その目の細かいフィルターがネット社会なのだ。

フィルターの目は教育でいくらでも変えられ、本当の悪だけを除けるようになるはずだ。
しかしその作業は困難でもある。
それほど心のフィルターは個人的なものであり、一度決まった目の細かさは、そう簡単に改まらない。
最初に書いた「経験」が目の粗さ、細かさを決定づけるからだ。

私は簡単に「悪を取り除く」と書いてしまったが、川崎事件のような悲劇が二度と起こらないようにするには、今回の議論でも盛んに言われている、「弱者を追い詰めるな」ということが本当は大事なのである。
この事件の犯人や、過去に無差別殺人を犯した者は、社会からつまはじきにされた経験を持ち、社会復帰の芽を絶たれ、社会に恨みを募らせていたという共通項があるようだ。
そうさせたのは、やはり社会を構成する我々であるという反省に立つべきだという意見ももっともだ。
そして、「引きこもることは、そういう反社会的な心を育みやすい」という結論に達しやすいから、あまりそういうことをネット上に軽々しく発信しないでほしいということだ。
皆がそうではないということを言いたいのだろう。
私も、そう思うが、実際に凶行に及んだ事件に「引きこもり」や「社会から疎外された人」が多く含まれることから、当然のネット上の反応だとも思う。

とりあえずは、そんな発信をしたからとて、引きこもり者から犯罪を産ませないということにはならないという認識に立って、あまり第三者が自身の留飲を下げる目的で発信すべきではないと私は思う。
要するに、皆さんには関係のないことだ。

この事件のことはマスコミと捜査機関に任せるとして、被害者にはご冥福をお祈りするしかないのだが、我々は、引きこもりを作らせない社会を構築し、悪い引きこもりをなくすようにしなければいけない。
今の社会は、失敗に不寛容であり、再出発はリスクでしかない。
再出発のしやすい世の中になれば、引きこもりは格段に減ると思う。
何度も社会復帰に失敗するのには、何かその人自身の性格によるものもあるだろう。
そこには医療的なケアも必要だと思う。
社会復帰のプログラムは人それぞれで、社会がもっと経験を積まねばならない。
つまりはより多くの引きこもり者を社会復帰させ、我々の社会も成功経験を積まねばならない。
就労には経営者の考え方を変える必要もあるだろう。
弱い立場の人を、安く使って、重労働をさせるような前時代的な経営者こそが悪である。
そんな搾取構造から日本は離脱して、もっと人にやさしい就労を提供できる労働市場にすべきだ。
ワークライフバランスや労働に見合った賃金設定(何も高い賃金を払う必要はない)を経営者が考える時代になっている。
雇用関係の信頼を取り戻すことから始めてみてはいかがか?