ホエーブス(灯油コンロ)を根岸さんが用意した。
「これはね、灯油で火がつくコンロなの。携帯燃料もあるんだけど、火力が違うのね」
「はい、メタ」杉本さんが、白いペッツ(ラムネ菓子)みたいな塊を根岸さんに渡す。
「ポンピングっていって、こうやって…」
ホエーブスとやらの下のタンクらしきものに飛び出たプッシュボタンのようなものを引き出して、押し込んだり引いたり素早く何度も動かした。
シュコ、シュコ、シュコ…
「そんで、メタに火をつけて」
メタをタンクの上あたりに無造作に置いて、マッチで火をつけた。
メタから、ぼんやりとした頼りない炎が上がる。
もう黄昏時なので、炎はうすく揺れている。
メタとはアルコールを含んだ固形燃料なのだそうだ。これに火をつけて、灯油タンクを温め、蒸気を出しやすくするわけだ。

メタが消えてきたら、コンロのバルブをひねるとしゅっとガスが出た。そこへマッチの炎を近づけると青いガスレンジのような炎が円形に広がった。
「おお、すごいや」「でしょ?」「さあ、お湯を沸かそう」
杉本さんがコッヘルのやかんにペットボトルの水を注いで、ホエーブスにかけた。
「こんな高い場所ではね、早く沸くんだけど温度が100℃じゃないのよ」「ああ、学校で習ったな、気圧が低いからだね」「そう」
「ほら袋菓子がこんなにパンパンに膨れてる」
ポテトチップの小袋が風船のように膨らんでいた。
「やっぱり、そうとう高いところなんですね」
「そうよ。2800メートルはあるんじゃないかな」と根岸さんが答えた。
「菅野君、さっきはごめんね。どう?ジャージ」
「あ、いや、おれこそ、粗末なものを見せちまって…ちょうどいいですよ」
「一瞬だったんで、見てないから… それでね、ジーンズは広げて、リュックにぶら下げて明日歩いているうちに乾くわ」
見てないわけがないと思うんだけど、それ以上追及するのも大人げないのでよした。
「へえ、そんなふうにするんですか」
「みんなやってるよ」
「ほら、一番星」
根岸さんが指さす方向に、まだ、沈み切らない夕日が、トワイライトゾーンを作って、その空の境目に金星が輝いていた。
昼間の疲れが、癒されるひと時だった。
まわりのテントの住人達も沈む夕日を拝んでいる。

「お湯が沸いてきたわ。スープを作るね」
もう一台のホエーブスには、いつのまにかコッヘルのお鍋がかけられていた。
こんばんの夕食はレトルトカレーだった。
アルファ化米を戻して、温まったレトルトカレーの袋を切って、その中にアルファ化米をぶち込んで、ブキ(スプーン)で食べると紙皿がいらないのだと、根岸さんが勧めてくれる。
何から何まで、おれは「合理的だ」と感心しきりだった。
山男や、山女という人々はいかに限られたもので生活することに長けているようだった。
サバイバル…そういう言葉が頭をよぎる。

何があっても、登山を経験していると困難を切り開いていけるのだろう。
おれも学ばねば…と本気で思った。

三人で、レトルトの袋を熱い、熱いと言いながら軍手でもって楽しく食事をした。
もうとっぷりと日が暮れ、電池の蛍光灯ランタンの光の下でお茶を飲みながら話す。
「雉撃ちって知ってる?」と根岸さんがおれに訊く。
「やだ、律っちゃんたら」杉本さんが笑う。
「いや、知らないっす。キジって鳥の?」
「そうよ。雉を撃ちに行くって猟師の隠語だと思うんだけど、男の人がうんちをしに行くことを言うらしいの」「へぇ。なんでだろ?」
「女の場合は、お花を摘んできますって言うの」
「はは、きれいに言いますね」
「だからカレーライスはキジめしって言うんだとか」
「それ言っちゃ、だめだって、もう」とは杉本さん。
おれは、爆笑した。さっき食ったとこなのに…

ごみを片付けて、ヒュッテのトイレを借り、用を足して寝ることにした。
日が落ちると急に寒くなる。
それよりも、この星空!
「うわぁ、落ちてきそうだ。手が届くよ」
ガキのようにおれは声を上げた。
「よろこんでくれて、誘った甲斐があったわ」
「ありがとうございます。根岸さん」
おれは、天の川というものを初めて見た気がする。
こんなに星があるものなのか?
普段見ている夜空とは別物だと思った。
ヒュッテの建物が大天井岳を背負っているので、そこだけ夜空が暗黒に切り取られていた。

「菅野君、しばらく星空を見ていなさい。あたしら、ちょっと着替えるから」と根岸さんの声が背後から聞こえた。
「あ、はい」
「ランタンで合図するから」
「はぁい。ごゆっくり」
「じゃ」
あの人たちも汗だくだったはずで、おれは濡れたから着替えたけど、今まで気持ち悪かったろう。
そう考えると、登山と言うのは女も男も細かいことを気にしていたら楽しめないなと思った。
「お互い、汗まみれ、泥まみれだもんな。だから、ものすごく親しい間柄のような気になってくるんだな。根岸さんや杉本さんが、もう姉さんか従姉(いとこ)のように思えてくるもんなぁ」
おれは、星を追いながら、独り言をつぶやいた。
テントのほうから「菅野君、いいわよ」という根岸さんの声が聞こえ、ランタンが振られる。
「今、行きます」
おれは、冷えてきた体をさすりながら、テントに向かった。
どこからか、ギターに合わせて歌う声が聞こえる。
「いいなぁ。青春だなぁ」
おれは、つぶやいた。
流れ星が流れた…

「おじゃまぁ」
テントの中は、ランタンで影が大きく揺れる。
シュラフが広げられ、一枚になっている。
「これね、こうやってファスナーでつなげられるのよ」
「え?ここで一緒に寝るんですか?」
「くっついたほうが寒くないのよ」と根岸さんが、さも当然というように言う。

二人とも昼間とは違うワークシャツとジャージのズボンに着替えていた。
「おれも入るんでしょ?」「いや?」「いやじゃないです。光栄です」「喜んでるよ、このひと」
杉本さんがおかしそうに言う。
ひざ掛けのようなフリースを腰に巻いて、二人は寝袋にさっさと入っていった。
「そいじゃ、さあ、両手に花で、真ん中に入る?」根本さんが誘う。
「そうですかぁ、いい夢が見られそうだ」おれは、愛想を振りまいた。
おれもジャージとワークシャツのまま寝ることにした。

近い…二人の体がもうおれに密着している。
杉本さんが「あったかいね」だって…
「こんなの、寝られないですよ」「どして?」「二人に密着してるんですよ」「あらら、かわいい。興奮してるの?」「レイコ、あんまり菅野君を刺激しちゃだめよ」「してません!」「はやく寝る!あしたは五時に起きるよ」「はぁい」
ランタンが消された。
おれは、下半身に力がみなぎってくるのが抑えられなかった。
もうギンギンに勃起していた。
杉本さんの女の匂いっていうのか、汗の匂いがたまらなかった。
おれは留学した時のことを思い出していた。
体が疲労すると、性欲が増すのだった。
ホームステイ先のゴードン・マクガイアーの家には、ゴードンの姉、エルザがいて、妙にべたべたしてくるのだった。
エルザには何人かボーイフレンドがいたはずなのだが、日本人に興味があったのか、初日から、なれなれしく、二日目には夜中におれのベッドに忍び込んできたのだ。
おれは童貞だったし、金縛りにあったように動けなかった。
英語でなにか言っているのだが、ほとんどわからない。
まだアメリカに来て二日目なのだから。
そうこうしているうちに、暗がりの中で唇を奪われたのだ。
初めてのキスが、外人の女の子によるフレンチキッスだった。
生暖かい、ミントの味のするキスだった。
そして彼女の体臭がきつかった。
しかし、体は正直で、完全に勃起し、今のようにトランクスを突き破るほどの立ち上がりを見せていた。
エルザはその高まりに遠慮なく手を伸ばし、そとに下着の前開きから抉(えぐ)り出し、やさしく握ってきたのだ。
硬いだの、大きいだの、英語で言っているようだった。
そんなに、たいしたモノではないはずだし、アメリカ人のほうがだんぜん大きいに決まっているのに、エルザはお世辞を言ってくれているのだろう。
そのうち、掛布団は跳ね上げられ、あろうことか彼女はおれのモノを口に入れたのだ。
その気持ちよさと言ったら…おれは、あまりの興奮で我慢できずに射精してしまった。
はげしくむせかえるエルザ。
ティッシュペーパーに吐き出し、おれは「ソーリー」を繰り返して誤った。
するとエルザはケラケラ笑って、頭を撫でてくれたのだ。
ほどなく、おれとエルザは体の関係になってしまった。
ゴードンや彼らの両親に見つかったら大変なことになるはずなのに、エルザは平気だった。
しかしそのおかげで、おれの英語は飛躍的に上達したのである。
エルザにセックスの手ほどきを受け、英語も習った。
エルザが学校の先生を目指して大学に通っていることなども次第に話していてわかるようになった。
六か月のホームステイのあいだ、エルザはおれに一通りの「やり方」を教えてくれた。
遠い昔のことだ…

杉本さんの女の汗の匂いが、エルザを思い起こさせる。
あれから、おれは自分ですることはあっても、女性とつきあったり、風俗に通ったりすることはしなかった。
前の職場だった菱田染色の女性社員の意地悪に辟易し、女という生き物に嫌悪感さえ抱くようになっていたからだろう。
「ああ」
おれは、杉本さんの方を向いて髪に鼻をうずめて呻いた。
杉本さんは、おれに背中を向けていた。
おれは、硬い分身で杉本さんのお尻あたりを突いた。
「ちょ、ちょっと」
小さく、杉本さんが咎めた。
「じっとして…」「なにしてんの」「なにもしてない」
根岸さんに気づかれないように、息で話す問答を繰り返した。
ジャージ越しだったが、おれの硬さが杉本さんに伝わっていることだろう。
「ふう…」
あきらめたようなため息が杉本さんの口から洩れた。
彼女は寝返りを打って、仰向けになると、おれのジャージの高まりに掌(てのひら)をかぶせてきた。
「あっ」と声を上げると「しっ!」と杉本さんが言う。
静かにしろということか?
杉本さんの手は、だんだん大胆に動き、おれのジャージの腰ゴムから中へ侵入してきた。
すぐにトランクスの前開きからまさぐられる。
「す・ご・い…」
「さっきと違うでしょ」「ぜんぜん」「やっぱり見てたんだ」「ふふ」
互いにつぶやきながら、おれは杉本さんにゆだねた。
「熱いわ。それにかっちかち」「そんなことするから…」
杉本さんは本当に経験がないのだろうか?
まったく初めてとは思えない触り方だった。
おれが自分でするように上下にさすり、皮を剥ききって、力をこめる。
山女らしく、強い握りで、すこし痛い。
それでもがさがさした手肌ではなく、全体にふっくらと優しい刺激を与えてくれる。
おれは、杉本さんの熱い右胸に顔をうずめ、その体臭を肺一杯に吸った。
柔らかな胸のふくらみは、エルザのものとそっくりだった。
「ふふ、いいの?」「うん」
もう限界に近かった。禁欲生活が長かったので、溜まりに溜まっているのだ。
「あの、もう」
「いくの?」「うん」「いいよ」
そういうと、杉本さんの手の動きが早くなった。
「くっ…」おれは声を殺して、果てた。
杉本さんが被せた掌にすべて受け止められた。
「あったかい…」
そんな声が遠のく意識の外で聞こえたような気がした。
「コホン」
根岸さんが咳ばらいをした。
知られたか?
ジャージから、杉本さんの手が抜かれ、向こうを向いて、汚れた手を始末しているような様子だった。
カサカサとポケットティッシュの袋の音がしたからだ。
「ちょっと、お手洗いに行ってきます」
そう言って、杉本さんがシュラフをめくって出て行ってしまった。
すると精液の独特の香りが漂ったので、おれは慌ててシュラフを元に戻した。

根岸さんが、ポツリと「もう、ぐっすり寝られるでしょ」と意味深なことを言った。
「はぁ」 おれは、気のない返事をして眠ることにした。
杉本礼子さんは、なかなか手洗いから帰ってこなかった…