現場には有線放送が引いてあって、夏の高校野球が流れていた。
友田主任とおれは「ピックアンドプレイス」装置を組んでいた。
この装置は、ワークをつまんで、持ち上げ(ピック)、所定の場所に置きに行く(プレイス)を直交ロボットで構成する装置である。
シーケンサを友田主任が受け持っている。
シーケンサはマイクロコンピュータであり、そのプログラムはラダー図で書かれる。
動きの微調整はロボットシリンダーのペンダント端末でおこなうことになっていて、それはおれがやる。
「もうちょいだなぁ、タクトを二倍にするとワークが跳ねるし」
独り言の多い友田主任だった。
※「タクト」とは行程時間(タクトタイム)のこと。ワークとは「仕事の対象物」である。

「友田さん、パトライトと緊急停止ボタンの接続が終わりました」
「ああ、次なぁ、配電盤のホールソーで開けた穴あるでしょ?そこのブッシンググロメットを適当に切って接着しておいて」
「はい」
ブッシンググロメットとはポリエチレンかポリプロピレンでできた断面コの字で両側面は鋸のようになったテープ状のもので、巻いて供給されている。
つまり、電線用のホールの切断面が粗いので、そこに電線を通すと被覆が傷ついて断線してしまうから、それを防ぐために断面にはめ込んで電線を保護するものである。
コの字の部分をホールの板材に食わせて円周を一周するように貼り付ける。
そして余った分は切り落とす。
あらかじめコの字の内側に2液エポキシ接着剤を塗っておくと外れにくい。
この装置の配電盤には30Φのホールがホールソーで3か所開けられており、すでに電線の束が通されてしまっている。
※「ホールソー」とはドリルでは開けられないような大口径の穴を開けるための特殊な回転鋸。中心に尖端があり、その周りに任意の径の円筒鋸が施されている。

「休憩しようかぁ。菅野君」「はぁい」
友田主任と仕事をするのはこれが初めてである。
主任は、奥さんと息子さんの三人暮らしだそうで、奥さんは画家なのだそうだ。
「この夏にね個展をやるんだよ。よかったらこれ」
そういって照れくさそうにチケットを下さった。
「そうですかぁ、じゃ、田中さんと観に行きますよ」
「ああ、田中美香さんかぁ。つき合ってるの?手が早いね。じゃ、もう一枚あげよう」
「あ、ありがとうございます。つき合ってるわけじゃないです。児童文学の会にいっしょに行ってるだけで」
「まあいいじゃないの。おれもね家内とは絵の会で知り合ったのさ」
「え?主任も絵を?」
「水彩画を少しね。動物なんかを書くのが好きなんだ」
「そうなんですか。知らなかったなぁ。奥様はどんな絵を?」
「家内は本格的な油絵だよ。風景を主に描いていたんだけど、最近はなんというか抽象的なものを描くようになってね。おれにもよくわからん。ははは」
「楽しみだなぁ。ぜひ見に行かせていただきますよ」
「ああ、よろしく。田中さんにもね」
「はぁ…」

午後は事務所での仕事だった。
美香の隣に座ると、美香が、
「昨日は、どうも」
「大変だったね」
そう答えるしかなかった。制服を着ている美香はそんなにグラマラスには見えないのに。
「根岸さんは?」
いつもの席に根岸さんがいなかった。机の上がきれいに片付いている。
「夏休み」「ふぅん」「明日は来るはずよ」
おれは、デスクトップパソコンを立ち上げて、先週の続きをおこなうことにした。
「ローダー・アンローダーCK-22の英文取扱説明書である」
この装置は鶏卵をトレイから、ラインに移し替える装置でありベトナム向けである。
ドイツ・シュミット社が原型を作っていたが、製造を中止したらしく、当社が類似の機能を持つ装置をデッドコピーしたのだった。
特許権をシュミット社が有していなかったことが幸いしている。
もし有していたとしても、二十年以上もまえの技術であるし、権利が切れているはずだった。
「あのさ、これなんだけど」
おれは、さっき友田主任からもらった絵画展のチケットを美香に見せた。
「絵の展覧会?」
「友田主任の奥さんって画家なんだってね」「そうなの?知らなかった」「そんで奥さんの個展なんだよ。二枚あるから一緒にどうかなと思ってさ」「行きたい」「じゃ、次の土曜日なんかどう?」「いいわよ」
話は決まった。あとは、レイコさんに車を借りるだけだ。

その夜、レイコさんに再び電話をした。
なかなか出ない。
十回目くらいでやっと出てくれた。風呂にでも入っていたのだろうか?
「もしもし…」「あ、菅野です」「あ、ちょっと後から掛けなおすわ。ごめんね」「あ、はい」
電話は一方的に切られた。
おれは直感した。
「男だ…男と一緒にいるんだ」
なんか、むらむらと妬けた。男の嫉妬はみっともない。
レイコさんも、おれも自由なのだ。
そう言い聞かせた。
おれには美香がいるんだ。
うまくいけば、美香とホテルにしけこむことだって不可能ではない。
そうだ、そうしよう。
おれは、身勝手極まりない男になり下がっていた。
十一時を回ったころ、電話がかかってきた。
「けいちゃん?あたし」
「男の人といっしょだったんでしょ?」
おれはつっけんどんに尋ねた。
「妬いてんの?かわいいわね。で、なんの用だったの?」
「今度の土曜に車を借りようと思ってさ」
「土曜かぁ、あたしも使うんだよね。ま、いいか。電車で行けないこともないし。いいよ。貸してあげるから、土曜の朝にでもお出でなさい」
「ありがとう、レイコさん」
「あの子と行くんでしょ。どこへいくの?」
「新富橋(しんとみばし)のギャラリー」
「相変わらず高尚なデートねぇ。まぁ楽しんで行ってらっしゃいな」
「あの、ホテルならどこがいい?」
「そんなことまで考えてんだ。大丈夫?あの子、堅そうよ」
「考えておくだけ。実行するかどうかはまだ」
「そうね、新富橋の手前の福良(ふくら)に高速道路の降り口があるでしょう?あそこがラブホテル街だわね。ジュエリーっていうホテルがお手頃で入りやすいと思う」
「ジュエリーだね。わかった」
「車、ぶつけないでよ」
「わかってるって」
そういって電話を切った。

土曜日が待ち遠しかった。