夏休みといえば、昆虫採集ですね。
私も小学生の頃は野山を駆け回って、捕虫網を使いこなしたもんです。
図鑑派だったので、フィールドに出るよりもデスクワークが多かった。
鱗翅目(ちょうちょの仲間)は展翅板という専用の張り付け台があるのですが、これを使用できるほど私はマニアではなかった。
半翅目(セミのなかま)なら、展翅することはないので、そのまま内臓をほじくり出して綿を詰めて乾燥させて標本にしましたね。
昆虫類は、ファーブルの定義によれば、胴体は三つの部分に別れるとされます。
セミで説明すると、頭部、胸部、尾部です。
六本の足は胸部から生えています。
足を壊さないように、体躯を分割します。
こういうのはみんな男の子に教えてもらった。
失敗して、何体もセミをばらばらにしてしまいました。
だからセミ捕りはいそがしい。

図鑑派でしたから昆虫の名前にはそうとう自信があったんですよ。
同定は男の子より私の方が優っていたと自負します。
でもね昆虫の名前って変なのが多いの。
たとえば「シオカラトンボ」。
これは漢字でも「塩辛蜻蛉」と書きます。
なんでこれが「塩辛」なのか?
一説に、このトンボを捕まえたとき、胴体の淡い水色の部分に触れると白い粉が手に付きますが、これが塩吹き昆布の塩のように見えるからだとか。
じゃあ「塩辛」じゃないじゃないか?舐めてもしょっぱくないし。
「塩を吹いた」を「塩辛」と名付けたんでしょうね。

もうひとつ、この季節、うるさいセミの代表で「アブラゼミ」ってのがいる。
茶色い不透明な翅(はね)を持つ、セミの中でとても特徴的な外観をしています。
こいつはなんで「アブラゼミ」と言うのだろう?
だいたい、このセミは真昼から夕方にかけてワンワン鳴いてます。
鳴き声が「天ぷらを揚げている時の音」に似ているから「アブラゼミ」というのだとか、「油紙」みたいな翅だから「アブラゼミ」というのだとか、図鑑にはあります。

「エンマコオロギ」は、正面の顏が閻魔様の憤怒の形相に似ているから、昆虫学者の大町文衛と松浦一郎によって命名された。
※大町文衛(おおまちふみえ)は三重大学名誉教授だった昆虫学者で「コオロギ博士」の異名があり、歌人の大町桂月の次男である。桂月は与謝野晶子の『きみ死にたまうことなかれ』を「乱臣、賊臣の作」だと酷評した人である。

つまり、「エンマコオロギ」は日本固有の種であるらしい。
だから漢字では「閻魔蟋蟀」と書くのだそうだ。
ラテン名も「Teleogryllus emma」であり、「閻魔」由来であることがわかる。

イネの害虫「ツマグロヨコバイ」はその名の通り、お尻が黒く、歩くとき「横ばい」で歩く。
これはよく観察するとわかる。
まったく、そのまんまの命名だった。
しかし、ヨコバイの仲間はセミに近縁なのである。
そうして観察するとたしかに小さなセミのような形態をしていた。

「シジミチョウ」の仲間は全チョウの種類の40%にも上るという大家族だ。
その色彩も多様で、とても美しい。
名前の由来はシジミ貝くらいの大きさの翅で、シジミ貝の内側の藤色に似ているからだろう。
このチョウの仲間の特徴は、翅の裏と表の色が全く違うことだろう。
「アゲハチョウ」や「モンシロチョウ」の翅の表裏はほぼ同じだ。
シジミチョウはだから、翅を閉じたときと、開いた時で全くその様子が異なる。
閉じている地味な姿は、カモフラージュになっているのかもしれず、開いた美しい姿は、パートナーを誘うためかもしれない。

では「アゲハチョウ」の「アゲハ」とはどういう意味なのだろうか?
漢字では「揚羽」と書く。
古くは「上げ羽」と書いたと古語辞典にはある。
この大型のチョウの飛ぶさま、羽化して舞い上がる様を「上げ羽」と表現し、「揚羽」とも書いたのだろうか?
家紋にも揚羽紋があり、平家の家紋はそうだ。
運気上昇の意味が込められていると考えられる。
日本人は、チョウを愛し、ことに立派なアゲハチョウを尊いものと考えた。
それは、醜い芋虫やさなぎから、殻を破って、この上なく美しい翅を伸ばして大空に舞う姿を、神秘的に感じ、幸運をもたらす生き物として神格化してきたのだろう。

私は俳句や和歌を鑑賞するときに、動植物の名に、ことのほか興味を抱く。
そのまま季題(季語)にもなるが、その言われを探ると、日本人の小さな動物に対する観察眼の鋭さを感じずにはいられない。
※もちろん学名の和名は明治に入って博物学が発達してから命名されたもので、きわめて学者の恣意的なものがあることは承知している。