将棋には「飛車」と「角行」という大駒(おおごま)があります。
「飛車」は縦横の方向にさえぎるものがなければ、将棋盤の中であればどこまでも進めます。
一方「角行」も左右の斜め方向にさえぎるものがなければ、将棋盤の中であればどこまでも進めます。

私は仮にこれら駒に性別をつけるなら「飛車」を「男性」、「角行」に「女性」を当てますね。
別に逆でも構わないのですけれど。

するとね両者が補い合って、盤上を駆け巡るわけです。
まさに男女の良いところ、足らないところを補って、どちらかかが欠けると、指し手は痛く感じます。

これらの大駒は敵陣の三段目以内に入ると「成る」ことができるのが日本将棋の特徴です。
もちろん「成らない」選択もできます。
「成る」ということを男女に置き換えたらどうでしょう?
これは「内なる異性」の発現であり、カミングアウトではありませんか?
「両性具有」となって、最強の能力を発揮するのです。
ご存知とは思いますが「飛車」は成って「龍王」となり、従来の能力に加え、斜めひとつずつ進む能力も与えられます。
そして「角行」は成って「龍馬」となり、従来の能力に加え、縦横にひとつずつ進む能力を与えられます。
もちろん「カミングアウトしない」選択があるのは前に述べたとおりです。

将棋と性を比較する試みは、どこかでされているかもしれないけれど、私は知りません。
このように駒の性格がはっきりしている将棋こそ、人との類似点が見つけられ、もともと擬人化されたゲームでありますから当然なのだけれど、チェスではキングとクィーンのように性別がある場合もあありますが、日本将棋ではそういう見方はしていないようです。

でも将棋を指していますと、「飛車」と「角行」のほかに「金将」と「銀将」、「桂馬」と「香車」に補い合う性格を見出すことができます。
大駒以外の「銀」「桂」「香」「歩」も成りますが、みんな「金」と同じ能力になるというのも両性具有のなせる業なのでしょう(玉と金が「成らない」のは性を超越しているのです)。

こういう駒の性格を人間社会に投影すると、「飛車」どうしの結婚があってもいいし、「角行」どうしの結婚があってもいい。
また普通に「飛車」と「角行」の結婚でも、のちに「飛車」が「龍王」にカミングアウトして「男の子も好きなんだなぁ」とか「おっさんずラブ」に走ったとしても、能力が強化されているんだから「パパ最高!」ということになりませんかね。
「じゃあママだって、カミングアウトしちゃう!」


「飛車」と「飛車」に育てられる子がいたら、頼もしいじゃない。
「うちはパパが二人で、もうすぐ「龍王」が二人になるんだぞ。ラスボスだぞ」って子供は大はしゃぎだ。
「なによ、あたしんちなんかママが二人でもうすぐ「龍馬」が二人になるの。こっちのほうがラスボス級よ」だなんてね。
どんだけ強いねん!

実際、将棋の終盤では、守備に龍馬、攻撃に龍王が良いとされます。
龍馬は、金将二枚ぐらいの能力を発揮して玉将を守れます。
時間稼ぎには龍馬かな?
母ちゃん強しだ。