夏休みが終わって、塾も平常通りに夕方からの開講となった。
雨が続いて、私も手伝いに行くことがなくなって、五日間くらいごぶさたしていた。
その間、岩波文庫の『栄花物語』の復刻版などを書庫から引っ張り出して読んでいた。

岩波文庫には必ず最後のページに「読書子に寄(よ)す」という岩波茂雄の一文があるはずだ。
これは岩波文庫をレクラム文庫に範をとって出版するという、その動機付けと使命を記したものだ。
「真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧(ぐまい)ならしめるために学芸が最も狭き堂宇(どうう)に閉鎖されたことがあった」
この名調子ではじまる、意気軒高な文章はどうだ?
私は、この「学問の自由」を高らかに謳い上げたかのような、高潔な茂雄の文章を好もしいと思う。

「今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽の書を少数者の書斎と研究室とより開放して街頭にくまなく立たしめ民衆に伍せしめるであろう(云々)」

「吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西にわたって文芸・哲学・社会科学・自然科学等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真に古典的価値ある書をきわめて簡易なる形式において逐次刊行し、あらゆる人間に必須なる生活向上の資料、生活批判の原理を提供せんと欲する」

こう続いて、この社会的な文庫出版運動を、儲けなどを考えずに市井(しせい)の読書子に頒布するという使命を激白している。
昭和二年の七月と年月が記されている。

この頃、本は高価だった。
まして、古典や芸術の本は、全集のような形で売られ、分売を許さなかった。
だから、貧しいが志のある者にとって、知識を得るには高嶺の花だった。
こういう背景を岩波茂雄は、忸怩たる思いで眺めていたのである。
彼は出版人として、本はもっと読まれるべきだという思いは人一倍強かっただろうし、そのような要求に応えて、成功しているドイツのレクラム出版を念頭に置いていた。
レクラム文庫として、さまざまな西洋の古典を廉価に世に出して、庶民の知識欲に応えてきたのである。
レクラム文庫は今もドイツで読まれており、大学で第二外国語にドイツ語を選んだ人(理系の人)はおそらく知っていると思う。
私もテキストとしてニーチェの「ツァラトゥストラはかく語りき」(レクラム版)の複写を使った。
先生が用意してくれたのだ。

岩波文庫や岩波新書には、私もたいへんお世話になっている。
私の知識の半分以上は岩波からといっても言い過ぎではないだろう。
値段が手ごろで、中身が濃い。
汲めども尽きぬ、味わいがある。新しい発見がある。
決して安酒ではない。
この滋味は、良いモルト、良い樽、良い職人にしか出せない。
度数を競うような粗い酒は、私には合わない。
そんな文庫が岩波文庫なのだ。

本を取り巻く環境は厳しいものになりつつある。
粗製乱造、紙の無駄遣い、電子書籍の乱舞…
それでも紙の岩波文庫は不変であってほしい。
岩波茂雄も望んでいることだろう。