若狭の青戸湾は深い入り江で池のように波が穏やかだった。
蘇洞門(そとも)めぐりという遊覧船に乗っての短いツアーに従弟の浩二と、伯父、伯母とで遊覧した。
私も来年は、高校受験なので今年の夏休みは、この七月の二泊三日の旅行だけであとは勉強の毎日になりそうだった。
「こうちゃん、あれが蒼島(あおしま)やって」
「ちっさい島やなぁ。無人島?あ、鳥居がある」
浩二はニコンの7倍の双眼鏡を覗きながら言う。
遊覧船のアナウンスでは、この蒼島には暖地性の植生が群生しており、そういった植物の北限にあたるそうで、国の天然記念物に指定されているそうだ。
もちろん無人島である。
私たちの宿の「青戸園」が見渡せ、湾内にはこの蒼島だけがぽつんと浮かんでいるのである。
「なおぼん、どんな水着持ってきたん?」と、小さな声で浩二が訊く。
「どんなって…ストライプの」
「ビキニ?」
「そんなんとちゃうわ。ワンピースで後ろがけっこう空いてるけど」
「たのしみぃ」
「あほ。どうせ、こうちゃんは学校の海パンやろ?」
「ちがうわい」
そんなことを言い合いながらしばらくすると、もう遊覧船は湾外に出て、波しぶきを上げている。
「外洋は波が大きいなぁ」
「気持ちええわぁ」
「あんたら、写真撮ったろ」
浩二のおばちゃんが、カメラを向けてくる。
「はい、チーズ」
いとこ同士、私たちは仲が良かった。
学年は一年違うが、生まれたのはあたしが半年早かっただけだ。
私は、浩二に恋心など抱いてはいなかったけれど、浩二は私のことが好きだったようだ。

ここに彼が遺した日記がある。
二冊の大学ノートにざらざらと書き留められた短文の集まりには、それぞれ、彼の幼い、とりとめのない情動が詰まっているように思えた。
誤字もある、かきなぐって、読みづらい文字もあった。
日付があったり、なかったりするが、前後でだいたい特定できる。
彼が中学二年生になってから高校に入ったころまでの記録がされていた。

彼が行方知れずになったのは、私が大学に入ってしばらくしてからだったらしい。
もうお互いに高校に入ると、祖父が亡くなってからは高安の家に私が行かなくなってしまい没交渉になってしまった。
伯父から「浩二が東京に行ったきり連絡をよこさなくなった」と、叔父が事故死したときの、お通夜のときに聞いた。
浩二の父が祖父の長男で、私の父が次男、そして、年の離れた早世した三男が叔父の周(めぐる)だった。
その後、私の父が肝硬変で亡くなり、母が後を追うように胃がんで亡くなったが、その時の葬儀でも伯父は「浩二からはまったく音沙汰がない」と半ばあきらめたように言うのだった。

私はもう、浩二がこの世界のどこかで生きているとは信じていないし、もはやこの世にいないのだとも思っている。
だからこの日記は彼の遺書なのだと思うようになった。
私がなぜ、浩二の日記を持っているのか?
それは、浩二から直接手渡されたからだった。

そう、私と浩二には明確な「別れ」の儀式があった。
伯父はそんなことは知らないだろう。
あの日、浩二は私に「これを、なおぼんが持っていてほしいんだ」と言ってこの二冊の大学ノートを渡された。
二人の間に、溝ができていた。
浩二は、高校生になって、私に会うことを避けるようになっていたからだ。
いとこ同士の結婚は、法律上許されているが、私たちにはそれを実行する勇気がなかった。
「会わない方がいい」
「そうね」
余りにもそっけない最後だった。
そうして、私の手には日記が遺された。

今思えば、あの時もっと問いかけるべきだったのかもしれない。
そうすれば、彼が、行方不明になることもなかったと考えるのだ。
私とのことで悩んでいたのに違いないのに、私は見て見ぬふりをしたのだった。
この日記をつぶさに読めば、その浩二の心のひだを読み解くことができるように思える。

ふたたび、私は遊覧船のデッキにいた。
「なおぼんの髪、長いね」
「切ろうかなと思ってる」
「どうして?」
「どうしても…」
カモメが船と並行に飛んで、止まっているように見えた。