この切なくも、あたたかいフォークソングは、私のお気に入りだ。
やはり、私が中学生のころ深夜放送で聞いて「オトナって悲しいな」と思ったものだ。
二十歳までの道のりが、その頃の私には途方もなく遠い先の話だった。
だから、当時の私の「二十歳像」は、この曲に負うところが大きかった。

20歳のめぐり逢い』をお聞きください。

この曲は1975年のリリースだそうです。そして私はシグナルというグループを知らない。
一発屋さんだったのだろうか?

大学生になって高野悦子の『二十歳の原点』に触れたころ、もはや学生運動は「兵(つわもの)どもの夢の跡」となっており、バブル享楽の時代に差し掛かっていました。
そんなときに左翼思想に傾斜していった私は、何か時代に不満を持っていたのかもしれません。
他人事のように聞こえますね。
そう、忘れたいのです。

あの頃はモラトリアムであり、何をしても干渉されなかった。
青い勝手なことを叫んでも、頓着されなかった。
しかしその時期がなければ、私の内面は成長しないままだったろう。
知らないことを知るという、人間本来の知的好奇心に向かう態度が醸成されたといえば大げさだろうか?

「手首に傷跡を残した女」や、自ら鉄道に飛び込んだ高野悦子は、私に無視できない「ざわつき」を与えた。
今風に言えば「やばい」のであった。

そんな、ふらついた「おぼこい女」が「よすが」としたのは科学だった。
科学は道しるべになるからだった。
そう、人生の「灯台」が科学的な考え方だった。
その真理を探究する冷徹な態度は、私を落ち着かせるには十分だった。
アインシュタインだってふらついていたのである。
ニュートンだって、後ろ暗いところがあった。
ファラデーは数学が苦手だったけれど、実験には神の手を持っていた。
あこがれの科学者が、私に示唆を与えてくれたことは間違いなかった。
そして「科学的社会主義」のエンゲルスのことも。