この台風は、昨年の台風21号の被害よりも大きかった。
大量の雨を列島に降らせた台風は、各地に大洪水をもたらした。

このように被害が広範囲に及んだのは日本の地形よるところが大きい。
つまり山がちで急峻な流域の川が、怒涛の急流を生み流域や下流の土地を襲ったのである。
台風19号は生まれた当初より、その巨大な雨雲と暴風域が心配されていた。
中心気圧は915hPaと低いまま日本に近づけたのは、その高い海水温だったといわれる。
海水温が高い状態は「地球温暖化」傾向にあることを示唆している。
地球温暖化がこのような恐ろしい台風を量産しているというのなら、その原因を見定め、知恵を絞って防止策に努めるのが人類の責務だろう。
グレタ・トゥーンベリさんの言う、耳の痛い話に向き合うのも大事なことだ。
「未熟な娘さんのたわごとだ」と一蹴するのはたやすいが、それでいいのか?と、この台風被害が問いかけているように思える。

現実に目を向けて、政治の力で今回のような被害を小さくすることができただろうか?
もちろん治水事業は連綿と行われてきただろう。
「50年に一度」とか「100年に一度」の大雨に耐えうるように堤防等を設計したなどと聞くが、これまでの気象の歴史をもとにその計算がなされる。
ところが災害は未来からやってくる。
その予測がどれだけ役に立つだろうか?
何も行政を非難するつもりはない。
何事も限界はあるものだ。

堤防を「完璧」にするには、とほうもないカネがかかる。
国の予算では到底足りず、また「完璧」はありえない。
重厚な堤防で日本の河川を囲うと、景観は損なわれ、貴重な耕地面積や住民の資産は奪われるだろう。
ある専門家は、日本の主だった河川の堤防は上空から見ると「線」であり「面」ではないから簡単に破られるのだと言った。
しかし「面」にするには、国土の狭い日本ではもともと不可能なのである。

今回、大きな被害を与えた川に長野県の千曲川がある。
この川は新潟県に入ると信濃川という日本最長を誇る名前に変わって日本海に注ぐ。
「千曲(ちくま)」とは流域が曲がりくねっているということで、その名の示すとおりに山間部に沿って曲がりくねり、ゆえに常に氾濫の危険をはらんできた。
今回のような上流で大雨になった場合、必ずと言っていいほど千曲川は氾濫を繰り返してきた歴史を持つ。
また下流の信濃川にしても、昔から暴れ川であり、その流域に肥沃な土地が広がって、有数の穀倉地帯を生み出している。
昔から日本人は災害と隣り合わせに生きてきて、うまく付き合ってきたのである。
治水事業は、行基や空海の時代から盛んにおこなわれ、織豊時代の「太閤堤(たいこうつつみ)」や備中高松城水攻めの際の築堤技術、はたまた家康の江戸城下の整備のさいの治水事業など目を見張るものが多く残っている。

それでも、人々はたびたび水害に見舞われ、財産や肉親を失ってきた。

私は、ここにきて、風水害、はては地震などの災害への備えに完全はあり得ず、柔道や合気道のように「受ける技術」で立ち向かうべきではなかろうかと思うようになった。
こういった災害は、根本的には防げないのだ。
地球温暖化防止にしても、グレタさんのいうようには、世界は動かないだろう。
またぞろ「温室効果ガス」など「似非科学」だと言われるのがおちだ。
いまから心を入れ替えて全世界が温室効果ガス放出をやめたとしても、地球温暖化が終息に転じるには数百年はかかるだろう。
もはや、私たちやその孫の代程度の時間では取り戻せないほどに深刻になっているのだ。
だからといって、我々が地球温暖化防止策に無関心を装うのは間違いである。
たとえ「蟷螂の斧」であっても、うちふるって、知恵を絞り、努力をすべきなのだ。

寺田寅彦が「天災は忘れたころにやってくる」と言ったように、それは防ぐということがままならないから、心構えをしっかりしておけという風に捉えるがよい。
つまり「減災」という観点で仕事をするということだ。
「防災」も、起こってしまったことに対する善処であり、そのための備えだ。
歴史を振り返り、語り部の言に耳を傾け、予測可能性を広げるよう想像をたくましくするのだ。
台風による風水害は、あるていど予測ができるようになったこんにち、地震よりは災害を最小限にとどめることができるようになった。
なによりも死者・行方不明者の数が極端に少なくなっている。
過去の例ならば、数百人規模で死者や行方不明者を出していたからだ。

日本に多い「天井川」流域に住む人々は、日ごろから覚悟を持ち、腹をくくって生きるべきだ。
嫌なら、早々に高台に引っ越すがよいが、それさえも命を保証することにはならない。
高台には高台の災難があるからである。

歴史を振り返って、自ら住む場所を決めることはよいことかもしれない。
地名に込められた「災害」を読み解くのも大事だろう。
河川の流域には、一定のリスクが伴うものだし、山の斜面に住むのも同じだ。
平野は平野で洪水になると水が引かない。
千年の都、京都でもどうだろうか?
ここは宇治淀川水系であり、日本最大の水瓶(みずがめ)と名高い「琵琶湖」を水源とし、瀬田の洗堰と天ケ瀬ダムで水量を調節している。
山間の貯水ダムとは規模が違うので、ダム決壊というリスクは少ない。
とはいえ、ダム湖のキャパシティは大きくなく、緊急放水はあり得るのだった。
宇治川は、淀川に合流する前に山科川と合わさる付近で直角に西へ流れを変えている。
これは豊臣秀吉が自身の伏見城の堀や二の丸付近に舟遊びを企画するために導水した結果である。
古代から明治時代にかけて、京阪観月橋当たりから南に広大な「巨椋池(おぐらいけ)」なる湿地が広がっていた。
宇治と言えば、この巨椋池が景勝の地だったのだ。
巨椋池は宇治川の氾濫でできた自然の貯水池なのだった。
それを治水して、巨椋池を干拓し、農地にして現在に至る。
ゆえに、宇治川が氾濫の危機になった場合、堤防を切って、ここに水を導き、下流を守るという案もある。
その際には、広大な京都の農地が犠牲になるのだが、下流の大都市「大阪」を守るには仕方がないとまで言われている。
この「旧巨椋池」の干拓地にあまり人家を建てさせないのは、そういう配慮があるからだろう。
こういった災害を「受ける」技術も大事なことである。
小さな犠牲を払って、乗り切ることである。
犠牲者には最大限の保障がなされてのことだが。

あふれるものは、あふれさせ、受けて立つのも一つのやり方だと思う。