エドゥアール・マネ(1832~1883)はフランスの印象派の画家で『笛を吹く少年』などで日本でもファンの多い画家です。
彼が晩年に描いた『フォリー・ベルジェールのバー』にはさまざまな謎があるようです。

BAR-MAID
これがそうです。
今、東京美術館で「コートールド美術館展」が開かれていますが、この絵も日本に来ているそうです。
絵を観てみましょう。
この中央に描かれている女性は「バーメイド」という女性バーテンダーだと言われています。
当時のバーメイドは娼婦でもありました。
そしてこの場所が「フォリー・ベルジェール」というお酒や料理を頂きながらショーを観覧できるホールというかサロンですね。
この絵にも左上のすみに足が二本ぶら下がってますが、これは「空中ブランコ」のショーなんですよ。
これをみなさんがご覧になっているわけです。
そして絵の背景を飾っているのは、実は大きな鏡なんです。
そう言われたら、鏡に映った画像のようだ。
すると、ちょっと変なところがある。
鏡に映った観客席の視点が本当はもっと高いのに、低く描かれている。
そして、正面の「綾瀬はるか」似のバーメイドの右のうしろ姿は、彼女のものになるはずだ。
なのに、えらい右に寄っているから、他人のうしろ姿に見えてしまうんです。
彼女の目の前にシルクハットの男が、バーメイドの前にいなくちゃならんでしょう?
なのに、彼は画面にはおらず、鏡面にだけいるんです。
そうやって全体を眺めると、酒瓶の映り込みとかがちぐはぐです。

10月13日の「日曜美術館」でその謎ときをやっていました。
51歳で早世したマネの遺作ともいえる「フォリー・ベルジェールのバー」は、現実を描いてはいるが、同時性がないらしい。
現場で彼が写生したのではない。
いや、写生はしたのでしょう。
部分的に…
当時、軽便なカメラはないので、簡単に写真を撮ることはできませんでした。
すると、クロッキーで部分的にスケッチはしていたと思われるのね。
そして自分のアトリエでそれらをはめ合わせる。つまりコラージュのようにね。
クロッキーはたぶん、マネがいろんな立ち位置でしたためたんでしょうね。
視点が変わっていても気にせずにマネは一つの絵に仕上げてしまうんです。
本人だって気づいていたでしょうに。
当然、仕上がった絵を観たサロンの評も「おかしな絵だ、基本がなっていない。だめだこりゃ」と散々でしたとさ。
私ね、こういう絵があってもいいと思うんですよ。
見えたとおりに描いているわけでしょう?
時間差、立ち位置の違いがあってもね。
それよりもバーメイドにこめられた、憂いのある瞳、無表情に見える瞳ですよ。
鏡には、彼女が男から誘われているように映っているわけでしょう?
体も売ったバーメイドですから、男から交渉を迫られていることが想像できます。
「今夜、これからどうだい?いくらだね?」
「これから…ですか?(あたし、はじまっちゃったんだよねぇ…生理が)」
てな具合の会話があったかどうか。

このホールは、客の身分の貴賤を問わず、繁盛していたそうです。
このように軽業師(サーカスとかシルクとかいうもの)や歌謡リサイタル(シャンソン)などが毎日のように開催されていました。

ベル・エポックを代表する歓楽街や風俗を描いた画家は多かった。
ミュシャやロートレックがそうだ。
「ムーランルージュ(赤い風車)」というキャバレーも舞台になった。

パリのいい時代。光と陰。