12月8日は日本時間で真珠湾攻撃が開始された日です。
『真珠湾<奇襲>論争』(須藤眞志:講談社選書メチエ)によれば、「陰謀説」は完全に否定されたようです。
少なくとも、戦史の専門家によって検証されて、当時のルーズベルト大統領が日本の真珠湾奇襲作戦を知りながら、日本に先に殴らせて、交戦を正当化したというような事実はなかったということです。
そもそも「陰謀論」には二通りあって、日本人の立場と、アメリカ人の立場でそれを論じる場合があろようです。
よく言われるのが、日本政府から駐米大使への暗号文が、作戦実行前に米政府によって解読されていたということですが、これはどうやら違うらしい。
つまり、解読はされていたのですが、その時期なんですよ。
真珠湾が日本軍によって攻撃にさらされているときには、まだ暗号は米政府に解読されていなかったらしいのです。
だから大統領が日本の機動部隊が真珠湾に向かっているということも知らなかった。
真珠湾に旧式の戦艦を停泊させて、それを囮(おとり)にして日本の攻撃でスクラップにさせて、日本をぬか喜びさせたとか…そんな事実はないのです。
先制攻撃を日本にさせて、国際世論をアメリカの味方につけて、また米国内の世論を「日本憎し」に収束させたというのもちょっと違う。
結果的にそのようになったのであって、アメリカがかねてより仕組んだものではなかったのです。

真珠湾攻撃に向かう南雲機動部隊が無線封鎖を守らず、不用意な日本の通信が米軍に傍受されていたという、映画「トラ・トラ・トラ」のシーンも根拠薄弱だそうです。

もっとも重要なのは「宣戦布告」がなんで攻撃の後になってしまったのか?
これは、ハル国務長官と、野村大使および来栖大使とのやり取りの中で、日本の駐米大使館の「危機感」の甘さに問題があると本書では指摘しています。
つまり、日本政府(軍部)と来栖大使らの開戦に対する考え方の温度差ですね。
個人攻撃をするのはたやすいが、ここに組織の剛直化、希望的観測に流されやすい人間の弱さがあるというわけです。
大きな決断をするときに、やはり人間は躊躇する。
戦争には、すぐにはならんだろうという認識の甘さが強く出るもんなんですね。
奥村勝蔵一等書記官が、不得意なタイプライターで通牒文書を清書して時間を浪費したから、宣戦布告が真珠湾攻撃の後になってしまい「奇襲」になってしまった…とか。
本書では、開戦前夜に奥村が知人宅で深夜にトランプゲームに興じていたという事実を暴露しています。
すると、映画などで奥村が一生懸命にタイプライターに向かっている姿が嘘になります。
いずれにせよ、奥村書記官は責めを免れないだろうとは思いますが…

今となっては、こういう事態にならないように、外交をしっかりやってもらいたいものです。